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前ページ次ページゼロの剣士 #1 森の中を走って一時間も経った頃、ロングビルは馬車から降りるようルイズ達に告げた。 彼女が言うには、この近くにフーケの隠れ家があるらしい。 馬車で近づくのは色々と目立つし、ここからは歩いていこうとロングビルは提案した。 「なにやってんのヒュンケル? 早く行くわよ!」 馬車の前で靴紐を結ぶように屈んでいたヒュンケルをルイズが急かした。 ヒュンケルはすぐに立ちあがると、ルイズ達と並んで歩く。 フーケの隠れ家は、馬車を置いた場所から十数分のところ、木々が少し開けた場所にあった。 それは打ち捨てられたような小さなボロ小屋で、人の気配がまったく感じられない。 「フーケは留守なのかしら? それとももう逃げちゃったとか?」 そう言って無用心に廃屋に近づこうとするルイズを、ヒュンケルが制止した。 昨日のことといい、どうにもこの娘は勇み足でいけない。 ヒュンケルが見た感じ、ルイズはどこか急き立てられているような印象を受けた。 「落ちつけルイズ。偵察には俺と……タバサで行こう。お前はここで待っているんだ」 しかしルイズは、ヒュンケルの言葉に不満そうに頬を膨らませた。 「嫌よ! 使い魔が行くっていうのになんで主人のわたしが留守番なのよ?」 「……主人を守るのが使い魔の役目。そう言っていたのはルイズではなかったか? 危険がないか見に行くだけだ。少し待っていてくれ」 渋々頷くルイズの頭を、ヒュンケルがなだめるようにぽんぽんと叩いた。 そうしてから、また子供扱いしてとぶうたれるルイズをスル―し、キュルケとロングビルの意見を確かめる。 キュルケは肩をすくめると、ここでルイズの子守りをしていると言い、 ロングビルは用心のために周囲を見回ってみると言って森の方へ歩いて行った。 それぞれの役割を確認し終えると、ヒュンケルはタバサに頷きかけた。 「念のため、『静寂』をかける」 タバサはそう言うと杖を振るい、二人の足音を消した。 恨めしげなルイズをその場に残し、ヒュンケルとタバサは慎重かつ素早く、フーケの隠れ家に接近したが、 相変わらず廃屋からは物音ひとつせず、人の気配もしなかった。 「思いきって中に入ってみるか」 ヒュンケルはタバサに小声で言うと扉に手をかけ、ゆっくりとそれを開けた。 二人は音もなくするりと室内に入ったが、やはり人の姿はない。 廃屋は一部屋のみの構造で家具も少なく、隠れられそうな場所はありそうもなかった。 埃の積もった様子を見るに、ここでフーケが生活しているとはとても思えない。 もしや、ロングビルの掴んだ情報は誤ったものだったのだろうか。 ヒュンケルが嫌な予感を感じた時、タバサが「これ」と囁いた。 タバサはテーブルの上に無造作に置かれていた本を手に取って、何かを確かめるようにじっと見つめた。 「まさか、それが『悟りの書』か?」 ヒュンケルの言葉にタバサは「たぶん」と頷くと、自然な動作で本を開こうとした。 どうやら彼女はまだ『悟りの書』を読むことに未練があるらしい。 ヒュンケルが溜め息をついてその手を掴むと、 タバサは相変わらずの無表情で「冗談」と一言言って、『悟りの書』をヒュンケルに差し出した。 どうにも変った娘だと苦笑してヒュンケルがその本を手に取った時――そのことは起こった。 「ヒュンケル! タバサ! 小屋から離れて!!」 外からまずルイズの叫び声が聞こえ、次いで頭上の屋根が砕ける音が耳をつんざいた。 間一髪、窓から外へ飛び出した二人の背後で、廃屋は杖を失くした老人のように呆気なく崩れ落ちた。 ヒュンケルはタバサを助け起こすと、廃屋を叩き潰した張本人をぎらりと睨んだ。 襲撃者の正体は言うまでもない。 ヒュンケル達の目線の遥か上、フーケの巨大なゴーレムが、ヒュンケル達を見下ろしていた。 「小屋に人がいた形跡はなかったが――もしや情報自体が罠だったか?」 つぶやくヒュンケルの横で、タバサが真っ先に魔法を唱えた。 少女の、背丈ほどもある杖から強力な竜巻が巻き起こる。 生身の人間なら造作なく吹っ飛ばせる魔法だが、巨大なゴーレムはびくともしないでその場に留まり続けた。 タバサに続いてキュルケが炎の魔法を、ルイズが例の爆発魔法を使うが、ゴーレムの巨体からすれば効果は微々たるものだ。 「こんなのかないっこないわよ!」 呻くキュルケの横でタバサが「退却」とつぶやき、口笛を吹いて風竜シルフィードを呼び出した。 即座に空から現れた使い魔に乗って、タバサはキュルケやヒュンケル達に手招きする。 肝心の『悟りの書』は取り返せたのだから、タバサの判断は賢明なものだと言えるだろう。 ヒュンケルとキュルケは彼女に従おうとしたが、しかし何故かルイズだけは頑としてそこを動こうとしなかった。 ルイズは何度も何度もゴーレムの表面に爆発を起こし、巨大な質量を砕こうと躍起になっている。 早く乗れと急かすキュルケの声に、ルイズは「嫌よ!」と、振り返りもせずに拒絶した。 「嫌よ! ここで逃げたら『ゼロ』だから逃げたってまた笑われちゃうじゃない!!そんなのできっこないわ!!」 「そんなこと言ったってあなた……ロクな魔法も使えないじゃないの!」 キュルケの言うことにルイズは言葉に詰まるが、それでも一歩も退こうとはしなかった。 「魔法を使える者を貴族と呼ぶんじゃないわ……! 敵に背を向けない者を貴族と呼ぶのよ! 邪魔しないで!」 そう言って攻撃を続けるルイズにキュルケは「あのバカ」と唇を噛んだ。 人一倍誇り高いルイズが『ゼロ』と蔑まれ、どれだけ悔しい思いをしてきたかキュルケはよく知っていた。 ルイズは汚名を晴らそうとひたすら努力し、それでも駄目で、また頑張って、どうしようもなくて――。 ルイズの気持ちは分かるが、それでもこんなところで死なれては目覚めが悪い。 強引にでもルイズを逃がすため駆け寄ろうとしたキュルケだったが、ゴーレムがその腕を振るう方が先だった。 肩を震わし、目を見開くルイズに近づく巨椀。 ルイズのちっぽけな体などバラバラにしてしまうであろう凶器。 昨日の再現のようなその攻撃はしかし、昨日と同じ人物によって受け止められた。 ただし今回の結果は昨日と違って、その人物はゴーレムに押し負けずにそのまま踏みとどまっている。 「……無事か、ルイズ?」 ルイズの目の前、ヒュンケルが魔剣でゴーレムの一撃を食い止めていた。 衝撃で数メイル後ずさり、足は地面に埋まってしまっているが、ヒュンケルは渾身の力でゴーレムの腕を押しのけた。 そしてすかさずルイズを抱えると、シルフィードの前まで連れて行く。 「離してヒュンケル!これは命令よ! わたしは戦うの!」 腕の中で暴れるルイズに、ヒュンケルは無言で頷いた。 てっきり反対されるとばかり思っていたルイズは虚をつかれ、振り上げた拳の行き場をなくす。 しかしヒュンケルは嘘をつくでも誤魔化すでもなく、真剣にルイズの望みに応えようとしていた。 「そこまで言うなら俺も共に戦おう。しかしルイズ、戦いにはやり方というものがある。 お前はゴーレムの攻撃が届かぬところから攻撃しろ。あのデカブツと直接やり合うのは俺の役目だ」 さっきまで失念していたが、周囲の偵察に出たロングビルの姿がまだ見えなかった。 彼女の無事が確認できない以上、一目散に逃げることも憚られる。 それになにより、敵わずとも立ち向かおうというルイズの言葉にヒュンケルは心打たれていた。 自棄になっているような面もあるのだろうが、ルイズの横顔には凛とした気高さが浮かんでいた。 魔法が使えなくとも――いや、魔法が使えないからこそ育まれた、魂の力のようなものがそこには根付いていた。 ヒュンケルはルイズのことをただ守るべき対象としか見ていなかった己の認識を改め、 できることならルイズの望みを叶え、自信を与えてやりたいと、そう思った。 「タバサ、キュルケ。お前達は上空から援護しながらロングビルを探してくれ あるいは怪しい人影を見つけたらそいつを捕らえろ。フーケを倒せばゴーレムも消えるだろう?」 言ったヒュンケルに、キュルケがやれやれと首を振った。 一緒に逃げられないとあれば、キュルケのやることも一つしかありえない。 「しかたない、付き合ってやるわよ……デ―ト1回分と引き換えで。もちろん費用はルイズ持ちよ?」 キュルケはそう言うとタバサと目配せし合い、風竜で飛び立った。 ゴーレムはそれを見てのそりと動いたが、タバサとルイズ達のどちらを狙うか迷ったように、少し首をかしげている。 ヒュンケルはタバサ達を見送ると、ルイズの顔を見た。 マァムと同じ色の髪をした少女は、緊張と興奮で頬を紅潮させていた。 「ルイズ、これを持っていてくれ。なくすんじゃないぞ?」 そう言うとヒュンケルは懐から『悟りの書』を取り出してルイズに押し付けた。 ――共に戦うのはいいが、絶対にやられるな。 この任務の一番の目的、学院から盗まれた秘宝を託すことで、ヒュンケルはルイズにその意を伝えた。 ルイズはしっかり本を服の中に仕舞い込み、ヒュンケルに向かって頷いてみせる。 ヒュンケルだけを前線で戦わせることに不安も不満も感じるが、 それが一番の布陣だということはルイズも分かっていたし、ルイズはこの偉そうな使い魔の力を信じたかった。 「ご主人様に指図するなんて使い魔失格なんだからね! 後で説教してやるんだから……死ぬんじゃないわよ!」 ルイズはようやくいつもの調子に戻るとそう言った。 直後、ゴーレムの巨大な足が振り下ろされ、ルイズとヒュンケルは前後に分かれる。 ルイズは森の方から後衛を務め、ヒュンケルはゴーレムのそばで前衛を担当する――。 主人と使い魔の、初めてのパーティーバトルが今始まった。 #2 振り下ろされた足をかいくぐり、そのままの勢いで斬りつける。 土くれでできたゴーレムの足はたやすく裂けたが、すぐに地面から土を補給して体を再生しはじめた。 ルイズも今は手数よりも威力を意識し、なるべく大きな失敗――もとい、 爆発を起こそうと努めたが、その傷も瞬く間に再生されてしまっている。 ヒュンケルはいつのまにか鋼鉄製に変わったゴーレムの腕を大きく飛びのいてかわし、息を整えた。 するとその隙を見計らったようにゴーレムは足まで鋼鉄製に変わり、ヒュンケルは思わず舌打ちをする。 戦いは長期戦の様相を呈していた。 ヒュンケルはまだまだ動ける自信があるが、 失敗魔法とはいえ爆発という形で魔法力――この世界では精神力――を放出しているルイズはそろそろ限界のはずだ。 上空にいるタバサ達が術者のフーケを探しているが、森の木々に遮られてそちらの状況も芳しくない。 フーケがゴーレムの維持にどれほど精神力を消費しているのか分からないが、 このまま戦いが長引けば消耗したルイズを抱えて戦うか――あるいは逃げることになる。 ルイズの安全と心境を思えば、それはできようはずもなかった。 かくなれば、再生の暇もないほど早く切り刻むか、一撃必殺で倒すほかない。 「アバン流刀殺法――海波斬!」 ヒュンケルは昨日ゴーレムの腕を斬り飛ばした技を連続して放ったが、 今やみっちりと鋼鉄で固められたゴーレムの腕は、半ばのところでその斬撃を食い止めた。 スピード重視の海波斬では一撃の威力において少々心もとない。 とはいえ、速さの技に対して力の技――大地斬では手数が足りない。 となれば…… 「おい相棒! いいかげん俺を抜けよ!」 ヒュンケルが必殺の剣を構えようとした時、すっかり忘れていた声がその動きを呼び止めた。 背中から、デルフリンガーがすねた声でヒュンケルに訴えかける。 「俺っちだって剣だぜ!? そっちばっかり使ってないで俺も使ってくれよ。頼むからさあ……」 戦いの緊迫した雰囲気からはかけ離れたその様子に、ヒュンケルは思わず笑みをこぼした。 とはいえ、自分には二刀流の心得はないし、一刀で戦うなら使い慣れた魔剣の方がいい。 ヒュンケルは率直にそう言いかけたが、デルフが憤慨したようにそれを遮った。 「心得も何もねえって! 相棒は『使い手』だろう? 剣を握りゃ勝手に体が動くんだよ!」 「使い手とは――『ガンダールヴ』の――ことか?」 ゴーレムの攻撃をかわしながら聞くと、デルフはあったりめえだろと一笑に付した。 むしろ、素でその力を出せてる方がおかしいぜと呆れ半分の調子で続ける。 ヒュンケルは頭上のタバサをちらりと見上げると、ようやくデルフの柄に手をかけた。 何故か懐かしい感触を覚え、ルーンを刻まれた左手を見やった。 もしもタバサやデルフの言うように自分が本当に『ガンダールヴ』ならば―― そしてもしあの決闘の時感じた感覚が本物ならば―― 剣を二刀使うくらい、俺には容易いはずだと自分に言い聞かせた。 目の前のゴーレムを倒し、ルイズに誇らしい記憶をつくってやる。 それだけを胸に置き、懸念も何も体から追い出した。 闘志が体の奥から、ふつふつと溢れだしてくる。 「相棒! 俺を抜け! ガンダ―ルヴは心の震えで強くなる! 闘志をみなぎらせ、剣に伝えろ!!」 声に応え、ヒュンケルはついにデルフリンガ―を抜き放った。 ゴーレムは今、タバサとキュルケが風竜の速さを活かして翻弄している。 ヒュンケルは両の手に二刀の魔剣を携えて目を閉じ、リラックスするように肩の力を抜いた。 瞼の裏に、無駄な力や動作を省いた必殺の軌跡を心に描く。 そしてゆらりと剣を持った両手を上げると、あらかじめそれが決まっていたような自然さで上段に構えた。 「アバン流刀殺法――二刀!」 ここまで意識を集中させてこの技を使うのは何年振りか。 ヒュンケルは初めてこの技を成功させた時のことをふと思い出した。 今振るうはアバン流の初歩にして、大地をも割る力の剣―― 「大地斬!!!」 カッと目を見開き、ヒュンケルは二対の魔剣を振り下ろした。 二柱の斬撃は強烈な衝撃波を生み出し、ゴーレムの鋼鉄の四肢をVの字に斬り裂いた。 刹那の瞬間、手足を失ったゴーレムの胴体が宙に浮く。 ――好機。 「タバサ! ゴーレムを浮かせろ! キュルケはヤツの頭を攻撃するんだ!!」 ヒュンケルの言葉に応え、タバサが即座に詠唱を完成させた。 あらかじめ力を蓄えていたのだろう、今までの比ではない威力の竜巻が、四肢を失い軽くなったゴーレムを持ち上げる。 ゴーレムの再生のために地面から巻きあがっていた土くれも、風の力で吹き飛ばされた。 次いでキュルケのとっておきの火炎の魔法が、ゴーレムの頭を超高熱で焼き尽くす。 今やゴーレムは、ただの大きな土の塊でしかなかった。 ヒュンケルは鎧の魔剣を地面に突き刺すと、左手のデルフリンガ―に語りかけて言った。 「デルフ、お前が俺の剣を名乗るなら、この魔剣に劣らぬところをみせてみろ。 俺の最強の一撃を、こいつと遜色ない威力で出してみせるのだ」 ヒュンケルの言葉を、デルフは威勢よく笑い飛ばした。 ガンダ―ルヴの左手、デルフリンガ―にしてみれば、そんな挑発は望むところである。 ヒュンケルの腕から流れる闘気に身を任せ、デルフは己の内にそれを蓄えた。 「任せろ相棒! あの魔剣に新参者となめられねえよう、俺もいいとこ見せちゃるゼ!」 叫ぶデルフの刀身が、錆びの浮き出たそれから、魔剣にも劣らぬ白銀の輝きに満ちたものへと変わった。 しかしヒュンケルはその変化を何故か当然のようにして受け入れ、浮き上がって再生力を失ったゴーレムを見つめた。 タバサの竜巻の力は徐々に弱まってきている。 ここはもう、一撃で決めるほかあるまい。 「ルイズ! 俺の技に合わせろ!」 ヒュンケルは片手を前に突き出し、デルフを握った方の腕を弓のように引いて力を溜めこんだ。 背後からはルイズがヒュンケルの声に応え、早口で魔法を詠唱する声が聞こえてくる。 師を襲い、弟弟子を傷つけた必殺剣を今、別の何かのために使う。 奇妙な感慨が、ヒュンケルの胸に去来した。 背後のルイズが、詠唱を完了させて杖を振り上げる。 「やれ!!」とデルフが叫び、ヒュンケルは裂帛の勢いで剣を突き出した。 「ブラッディースクライドォ!!!」 回転力を加えたその突きは螺旋の渦を描き、ゴーレムの胴体部分に大きな風穴を開けた。 そして次の瞬間、でかでかと広がった空洞から大きな爆音が響き渡った。 ルイズの失敗魔法と言う名の強力な爆発が、内部からゴーレムを爆散させたのだ。 タバサが生み出した竜巻が消えた時、地面にこぼれ落ちたのはもはやただの塵芥に過ぎなかった。 ヒュンケルは一応身構えたが、ゴーレムの残骸はそのまま動くことなく、ただの土くれのままそこにある。 おそらくフーケの精神力も既に限界なのだろう。 「終わったな」 からから笑うデルフに向かって、ヒュンケルはそう言った。 あとはフーケ本人を探して捕まえるか、『悟りの書』を持ってそのまま帰ればいい。 ルイズもあのゴーレムを倒したことで自信はついたろうし、ヒュンケル個人としてはフーケの捕縄には特に興味もなかった。 タバサやキュルケも風竜から降りてきて、安堵の笑顔でヒュンケルの手を握った。 ――しかし、そんな油断がいけなかったのだろう。 突然、ルイズの悲鳴が背後で響いた。 声の源を辿ればそこにはルイズともう一人―― 最後の同伴者、ミス・ロングビルがナイフを構えて立っていた。 前ページ次ページゼロの剣士
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856 :名無しさん(ザコ):2012/09/15(土) 13 27 42 ID wWh4zAa60 勇者ダイ(拳の紋章) 年代が合うなら一度はアバンストラッシュを練習して禁止令が出たりした経験があるはず。 複数の形態を持つダイの中で最も長い期間使用するのを想定している状態。 非常に優秀な高火力ユニットであり、SPも熱血ひらめき加速気合必中をLv18までに 完備するといった対ボス攻撃偏重型。 弱点はEN消費が激しく、考えなしに攻撃していると肝心のボス戦で息切れしている 可能性が高いところと、回避が低く装甲はそれなりにあるが鉄壁堅牢はないため、 前衛を任せるには生存性能が微妙なところ。 そのため、ザコ戦は遊撃と節約を主眼に良燃費の大地斬か海波斬で戦って気力を稼ぎ、 ボスに大火力を叩き込む役に徹した方がいいだろう。 ギガストラッシュはC属性付きで使いにくいが火力に比べて燃費は非常にいいので、 EN残量が少ない場合や、一斉攻撃のためボスの射程外で歩調を合わせるついでなど 時間が余るときは積極的に使っていこう。 勇者ダイ(双竜紋) 父であるバランから竜の紋章を継いだ状態。 ボス戦直前など、最終盤での使用が想定されている。 拳の紋章から技量+10、装甲+100、火力+100、ドルオーラ追加と一回り強化されている。 特に火力+100は下位武装には非常に大きく、技量+10も合わせて対ザコの対応力が 上がっているため、気力が稼ぎやすくなった。 また、追加技のドルオーラは気力130で威力3000と超強力。EN100と消費は大きいが 他に欠点もなく、下位武装が優秀なので威力の割にかなり使いやすい。また、射程3と ボスの隣を他のユニットに任せられるのも優秀な点だ。 といっても、実は格闘と射撃の差からギガストラッシュのほうがダメージが大きいのだが、 そちらは通常火力として見るには微妙だろう。 魔人ダイ イベント用、もしくは最終戦用としてスペリオルドラゴンと並び有名な形態。 双竜紋からさらに一回り強化されているため非常に強力。特にENが40上がったのが大きく、 終盤の改造段階なら通常戦闘をこなしつつドルオーラ2回かアバンストラッシュX3回は 苦労せずに使用できる。 使用がほぼ最終戦付近に絞られることから、ENやSP全回復アイテムを投入し、 再動や激励持ちと合わせて使えばボスを一人で倒すことも可能だろう。
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37 虚無と姉 前ページ次ページ虚無と獣王 結局ワルドは再び『魔法の筒』の中へと入る事となった。 対外的には『単独任務中』という扱いになっている彼が、突然王宮内で目撃されてはいろんな意味で困る。 「しかしまあ、よく喋ったものです」 年頃の女学生でもあるまいに、と言うマザリーニにヴァリエール公爵はしれっとした顔で言った。 「ああ、麻痺解除薬に『ちょっと素直になるクスリ』を混ぜておいたからな」 有り体に言うと自白剤であり、媚薬と同じく立派な禁制品である。 「まぁどうせそんな事だろうとは思いましたがね……」 マザリーニも予測していたようで、溜息ひとつで流した。彼の娘への愛情を考えれば、毒が混ざっていなかっただけマシというものだ。 「クロコダイン殿、申し訳ありませんが暫くそのマジックアイテムを貸し出しては貰えませんかな」 一両日中には返却しますので、というマザリーニにクロコダインは鷹揚に頷いた。 「それはかまわんが、それまではここにいた方が良いのですかな」 「ええ、できれば。こちらとしてもルイズ嬢と共にお聞きしたい事柄が幾つかありますし」 ただそれは今すぐに、という訳にもいかない。特にルイズには、少なくとも明日までは休息が必要であろう。 「クロコダイン殿はこの部屋でお休みください。追って夕食を用意致します」 別に野宿でも構わないのだが、と遠慮するクロコダインをそういう訳にもいかないと2人がかりで説得する。 ワルドとは違った意味で、彼もまたあまり人目につかない方がいいのだ。 「では私は先に失礼しよう。もうすぐ客が来る頃だ」 そういって部屋を出たのは公爵である。 仇敵と周囲から認識されているマザリーニと仲良く秘密の出入り口から現れるのを目撃されては、これまでの苦労が水の泡だ。 「ああ、宜しくお伝え下さい」 「娘たちにもお前との仲は言ってないのに何をどう伝えろと言うのか」 クロコダインに「ではまた」と手を上げ足早に去る友人を見送り、マザリーニも腰を上げる。既にルイズには関係を明かしているとは言えなかった。 「私もいつもの仕事を片付けにいかねばなりませんが、その前に1つ」 マザリーニは目を輝かせながら言った。 「頼みごとばかりで心苦しいのですが、一度、その手に刻まれたルーンを拝見させては貰えませんかな?」 政治の世界に浸かって長くなるが、それは何ら信仰の妨げになっていない。 むしろ。政に関わってからの方が信仰は増している。 そんな時に現れた始祖の秘術を継ぐ者と、その使い魔なのだ。興味が湧かない方がどうかしていた。 「おお……!」 仮にも教皇候補にもなった身である。 始祖ブリミルに関する知識は基礎中の基礎であり、当然その中には彼の使い魔たちのルーンも含まれていた。 その知識に照らし合わせた結果、クロコダインに刻まれたルーンは間違いなくガンダールヴのものだった。 始祖の4人の使い魔の中でも一番活躍が多いとされる『神の盾』が目の前にいる。興奮するなというのが無理な相談だ。 もっと詳しく調べたいという欲求を抑え、マザリーニは「では」と部屋を出ていった。 トリスタニアを1台の馬車が駆ける。 いつぞや、ルイズたちがフーケ追撃の為に使用した物とは比べ物にならない程豪華なそれは、ヴァリエール公爵家別邸の中へと入っていった。 敷地内で停車した馬車から現れたのは妙齢の女性である。 普段は優雅な所作で知られるその女性は、しかし貴族としての作法などアルビオン浮遊大陸よりも高い空へ放り投げた感じで飛び降り、そのまま邸内へと突入した。 豪奢な長い金髪を揺らし、良く言えばスレンダーな、ストレートに言えば凹凸の控えめな体躯が風を切る。 美しい顔も今は厳しく引き締まり、眼鏡の奥の瞳は爛々と光を放っていた。 廊下をほとんど走り出す寸前の速度で踏破しつつ向かうのは、この別邸の主がいる筈の書斎である。 ここまでノンストップで進んできたその女性は目的地の扉の前で初めて立ち止まり、息を整える間も置かずにノックを2回、向こうからの返事を待たずズバンと開け放った。 「お父様! ルイズの『系統』が明らかになったというのは本当ですか!!」 女性の名はエレオノール・アルベルティーヌ・ル・フラン・ド・ラ・ブロア・ド・ラ・ヴァリエール。 ヴァリエール公爵の長女であり、ルイズにとっては上の姉という事になる。 常になく大慌て状態なエレオノールに、公爵は「まあ落ち着きなさい」と声をかけた。 が、20代も半ばを過ぎた筈の娘はクールダウンの気配など露ほども見せず、「落ち着いてなどいられません!」と返してきた。 「あの! 何を唱えても爆発しか起こさなかったルイズが! ようやく一人前になったのでしょう!?」 その顔に隠しきれない喜びが溢れているのを見た公爵は、(これをもう少し素直に出していれば今頃は初孫とか抱けていたかもしれん)などと思う。 この世界の結婚適齢期は二十歳前後、その常識から考えるとエレオノールは相当スタートラインから遠ざかっている。 もっとも当人が最近『結婚は人生の墓場』などと口にしているのを知れば、公爵はその場で頭を抱えた事だろうが。 「それでルイズはどこにいるのですか? それに何の系統に目覚めたのです!?」 長く続いた家系は目覚める魔法の系統が偏るという傾向が多々みられる。 例えば武の名門として知られるグラモン伯爵家は土系統メイジを多く輩出しており、近年まで代々ラグドリアン湖の精霊との交渉役を勤めていたモンモランシ家の人間は水系統が生まれやすいといった具合だ。 これは別にトリステインに限った話ではなく、隣国であるゲルマニアでもツェルプストー家は火の家系と呼ばれ、キュルケもその例に漏れない。 しかしヴァリエール家は長く続いているにしては系統の固定化が見られていないという珍しい家系であった。 その証拠に先代の公爵は火、現公爵は水、そして娘のエレオノールは土系統のメイジなのである。 これではルイズの系統を予想など出来ない。 愛娘の問いに公爵は表情を厳しくした。 「それを知る前に、まずは落ち着いて欲しいのだ、エレオノール。その事に関し、若くして王立魔法研究所に勤めるお前の知恵を借りたいのだよ」 敬愛する父からの言葉は、エレオノールの心に不安という名のさざ波を走らせる。 魔法学院始まって以来の才媛と呼ばれ、卒業後すぐアカデミーに入った彼女はエリート中のエリートであったが、そのエレオノールの優秀さを持ってしても解けない謎があった。 1つは上の妹、カトレアの病の原因と治療方法。 もう1つが下の妹、ルイズの引き起こす失敗魔法の原因と根治方法である。 とは言え、自分以上にこれらを気に病んでいたのは両親であるのをエレオノールは痛いほど熟知していた。 そんな謎の1つがついに解消されたというのに、何故父は喜ぶ素振りを見せないのか。 表面上はルイズに厳しく接していたが、あれだけ猫可愛がりしたくて仕方なかったこの人が末娘の努力が実ったのを知ったのだから、大々的なパーティーの3つや4つ企画していてもおかしくはないというのに。 そして研究員である自分の知恵を借りたいとは、一体どういう事なのか? それらの疑問は父からの一言で一気に解決された。 「ルイズは今、王宮で体を休めている。そしてあの子が目覚めたのは失われていた第5の系統──虚無魔法だ」 もっとも、その一言は新たな驚愕と疑問を生み出したのだが。 陽は沈み、双月が天に差し掛かる頃合いになったが、まだ眠る事を許されない者達がいた。 倍加した仕事に文字通り忙殺されるマザリーニ、ワルドへの尋問や長女への状況説明と協力依頼に加え『大掃除』の段取りを練るヴァリエール公爵。 この2人にとってはまだまだ宵の口という感覚だ。 新記録の樹立と同時に魔法衛士隊に捕縛され、中庭の大きな樹に逆さに吊されたグラモン元帥とオスマン学院長。 この2人にとっては割といつもの罰ゲームであり、こっそり助けてくれたド・ゼッサール隊長に礼を言って『魅惑の精霊亭』にでも繰り出そうかという時間である。 そして、普段ならとうに寝ている時間帯にも関わらず色々と説明を求められる少女がいた。 昼の中庭における騒動をいち早く耳にし、何がどうなっているのか自分の母親に問いつめられている人物。 すなわち、今回の騒動の発端であるところのアンリエッタ王女であった。 眠れない者にも熟睡した者にも平等に訪れるのが朝というものである。 普段は座学の予習復習で寝る時間と起きる時間が遅くなりがちなルイズであったが、今日はそうでもなかった。 昨日はかなり早く寝入ってしまったし、なにやら部屋の中で人らしき気配を感じたからである。 それでもまだ頭の半分以上は夢の中の領域であったため、ルイズはぼんやりと眼を開けた。 王宮の貴賓室という慣れない環境、実家では日常だったが寮生活では久しくなかった天蓋つきベッドでも熟睡できるのは余程疲れていたのか、それとも単に大物なのか。 ともあれ、彼女の瞳に最初に飛び込んできたのは黄金色の何かだった。 「ふに……?」 金色のそれは一旦ずざざとルイズから遠ざかり、しかし再び眼前へと立った。 「い、いつまで寝呆けているの! おちび!」 「ふぁい!?」 聞き覚えのある声に、ルイズは一気に目が覚めた。 学院の寮に入ってからはご無沙汰だったが、忘れる訳もない通った声の持ち主。 というか仮にも公爵家令嬢を『おちび』などと呼ぶ人間など、ハルケギニア広しと言えど1人しかいない。 「エ、エエエ、エレオノール姉様ッ!?」 ルイズが愛情と苦手意識を同時に持つ人物、上の姉にあたる才媛は金に輝く長髪をかきあげる。 どうしてこんなところにと混乱するルイズは、だから目覚める寸前まで心配そうに姉が自分を覗き込んでいたり、今も若干頬が赤く染まっている事など気づきようもなかった。 (ああびっくりしたああびっくりしたああびっくりした!) 突然(当人主観)妹が目を覚ましたものだから、それはもうエレオノールは動揺した。 が、ルイズにとって自分は厳しいが凛とした優秀で憧れの姉である(当人主観)。 動揺する姿など見せられる訳もない。とっさに叱責する事で誤魔化せたのは上出来だった(当人主観)。 実際には顔を覗き込む、動揺して飛びずさる、などといった行動を目撃されているのだが、ルイズの寝起きの悪さなどが幸いして認知されなかっただけなのだが。 ともあれ妹が見たところ特に異常はない事に、エレオノールは安堵した。 父から話は聞いていたものの、今回のアルビオン行きはあらゆる意味でイレギュラーづくしだった筈なのだ。 特に虚無魔法を使ったメイジは6000年以上いなかった。どんな副作用があるか知れたものではない。 エレオノールがここにいるのは、その辺りの事をひどく気にしたヴァリエール公爵が依頼したのもその一因だった。 「ようやく眼を覚ましたのね、全くもう……」 安堵のため息を、表向きは妹に呆れているというポーズにしてしまうのがエルオノールという女性の救われない部分である。もちろん自覚はない。 「さあ、早く着替えなさい。今日は忙しくなるのですから」 「は、ははははい! でも姉様、忙しくなるというのは?」 エレオノールの言葉に脊髄反射で返事をしたものの、なぜ急かされるのか分からない様子の妹に、彼女は今度こそ呆れ混じりのため息をついた。 父の話によれば昨日は報告の後、すぐに学院に戻ろうとしたという。全会一致で止められたものの、ルイズ的には今日こそ城を後にするつもりだったのだろう。 要は虚無の担い手という自分の重要性を全く認識していないのだ。 「我こそは虚無魔法の使い手であるぞ」などとふんぞり返られた日には余裕でひっぱたく自信のあるエレオノールだが、こうも自覚がないというのも困りものだった。 「いい? おちび。貴女はこの世界で唯一の『虚無』なのよ? 調べなきゃいけない事が山のようにあるの。 本当に使えるのか、『始祖の祈祷書』の真贋鑑定、指輪と秘宝の使い方、呪文の構成に魔法効果の実践、使い魔のルーン分析および使い魔自身の調査! 上げればまだまだ出てくるわよ」 今日中に終わるとも思えないスケジュールの羅列に眼を白黒させるルイズに、エレオノールはビシッと指を指す。 「分かった? 王立魔法研究所を休んできているのですからね、時間はスクウェア・メイジよりも貴重だと心得なさい」 部屋に運ばれてきた食事を2人で食べた後、姉妹が向かったのはクロコダインがいる隠し部屋であった。 虚無魔法の実演と検証についてはエレオノールの他にも参加する者達がいるのだが、いかんせん地位が高いだけに多忙を極める為、今日の夜に行う予定である。 従ってそれまでに使い魔やガンダールヴのルーンなどを調べなければならない。 ルイズは昨日の騒ぎで休廷内でも話題になっており、またエレオノールもヴァリエール公爵の長女という事で社交界に顔が知られている。 目立つのは極力避けねばならなかった。 幸い父からは、今くらいの時間にどのルートを使えば他人に見られる事なく件の部屋まで辿り着けるか聞かされている。 これは時間ごとにメイドがどの場所にいるのか丹念に調べ上げた某元帥と某魔法学院長の努力の結晶を応用したものであったが、当然そんな事実は知らされていない。 若干話がそれたが、エレオノールとルイズはメイドだの宮廷婦人だのに目撃される事なくクロコダインの元に到着したのだった。 ノックもそこそこに扉を勢いよく開けて、部屋の中心で胡座をかいていた鰐頭の獣人に駆け寄っていく妹を見て、エレオノールは愛玩犬を連想した。 どちらが使い魔かわからないわね、とも思う。絆が深いのは結構な事だが、とは言えこのまま阿呆の様に立ち尽くしていても仕方がない。 わざとらしく咳払いでもしようかと思ったところで、件の獣人から「ルイズ、そちらの御仁は?」との言葉が出た。 どうやら部屋に入った時にはエレオノールの存在に気がついていたようだ。 もっとも、正確には部屋に入る前の段階で気配を感じ取っていたのだが、流石にそこまでは判る筈もなかった。 エレオノールが自己紹介をすると、クロコダインもまた礼儀正しく返事をする。 (貴女の妹君にはとてもよくしてもらっています、ね……) 見た目からは想像の尽かない挨拶に、エレオノールは高い知性を感じ取った。 使い魔としてはかなり異質だが、何にせよ話が通じるのは結構な事だ。ただでさえ訊かなければならない事柄が多いのだから。 エレオノールの質問はまずクロコダイン自身に纏わるものから始まった。 どの様な場所で生まれ育ったのか、何歳くらいなのか、仲間はいるのか、等々である。 この際、彼が遙かサハラを越えた地に存在するという東方ではなく、ハルケギニアとは異なる世界から召還された事も明かされた。 これまでこの事を知っているのは召還主であるルイズとオスマン学院長、コルベール教師の3名であったが、ルイズの実姉であり、また王立魔法研究所の研究員という肩書きを持つエレオノールには話しておくべきだと判断したからである。 エレオノールとしてはにわかに信じ難い話だ。 しかしクロコダインと同種の生物はこれまで確認されておらず、またグレイトアックスに込められた魔法がハルケギニアのものとは若干異なる事、ロマリアや聖地の近辺で見つかる『場違いな聖遺物』の存在など、彼の話を裏付ける要素は幾つかある。 それに、このような嘘をついてもクロコダインにメリットはないと思われるのも事実だ。 となると、俄然探求心がわくのが人情というものである。 特にエレオノールは知識欲が旺盛であり、更に使命感も強い。 加えて現在の王立魔法研究所は始祖に纏わる事柄を研究のメインに据えている。『神の盾』たるクロコダインが異世界の出身であるなら、ブリミルが召喚した4人の使い魔もまた異世界からの来訪者だった可能性があるのだ。 自ずと質問に熱が入る。 月がひとつしかない世界。 天界・地上界・魔界の3つに分かれた世界。 メイジが特権階級ではない世界。 ざっと聞いただけでも異世界だと思わざるを得ない話だ。 凄まじい勢いで聞き取った事を書き残すエレオノールの横では、ルイズがこれもまた真剣な表情でクロコダインの説明を一言一句漏らさぬ様に傾聴していた。 出身が異世界であるのは知っているものの、今まで詳しい話はあまり聞けていなかったのだから無理もないが。 熱心なものだと、苦笑まじりに姉妹を見ていたクロコダインだったが、突然ドアの方へ顔を向けた。 「どうしたの?」 首を傾げるルイズに、頼もしい使い魔は「また来客のようだ」と答える。 直後、扉の向こうからノックの音が響いた。 どうぞと言う暇もあらばこそ、ドアの向こうから軽く手を挙げて現れたのは壮年の男性である。 「やあ、昨日はどうも。しかし、こんな美しい女性達から熱心に迫られるというのは実に羨ましい限りですな」 メイド達に文字通り吊された後で、全く懲りずにほぼ徹夜でしこたま痛飲したとは思えないトリステイン陸軍きっての伊達男、グラモン元帥であった。 元帥にとってルイズやクロコダインは昨日が初対面であったが、エレオノールはパーティー等で幾度となく顔を合わせている。 彼女が王立魔法研究所の研究員であるのもヴァリエール公爵から耳にしていた。というか聞き飽きるほど自慢話をリピートされていた。 流石にここにいるのは予想していなかったが、すぐに(ああ、何のかのと理由をつけて呼びつけたんだなあの親馬鹿)と結論付ける。 「お久しぶりです、グラモンのおじさま。昨年末の夜会以来でしょうか?」 エレオノールも聞き取りを一端中断し、立ち上がって優雅に会釈した。 「ええ。それにしても、ますます美しさに磨きがかかりましたな。こんなありきたりな言葉しか思いつかぬ自分の詩才のなさが恨めしい」 「おじさまも相変わらずお上手ですこと。ところでその台詞は一体何回目ですか?」 「これは心外ですな、初めてですよ ──今日の所は」 相手の皮肉を軽く受け流しながら、伯爵は思う。 気が強いのは母親譲りだが、ここでスクウェア・スペルが飛んでこないのは有り難いもんだ、と。 「昨日はどうも、ご面倒をお掛けしましたな。ギーシュは元気にしていますか」 エレオノールの向こう側からそんな声を発したのはクロコダインだ。 「なに、本来なら凱旋の宴でも開いた方がいい位の戦果を成し遂げておられるのです。面倒などとはとんでもない」 ただでさえ無茶振りにも程がある任務だった上、身内に裏切り者まで出ているのである。伯爵の言葉は全くの本心から出たものだった。 「それと愚息の事なら心配には及びません。碌に戦ってもいない上、肝心な時にはいなかった様ですからな。さっさと学院に戻しましたよ」 肩をすくめる伯爵に、クロコダインは真顔で応じる。 「いや、そんな事はありません。ラ・ロシェールではフーケの作った岩人形に果敢に挑んでいましたし、アルビオンからの脱出時も彼の存在は欠かせないものでしたからな」 事実、礼拝堂からの脱出はギーシュとその使い魔の力が大いに役立っていた。 クロコダインも地中を脱出手段に用いるのは十八番であったが、地下港へと正確にトンネルを掘れる訳ではない。 その点、ヴェルダンデ謹製の脱出路は大変重宝されるものだった。 これだけだと使い魔だけの功績に思われがちだが、ジャイアント・モールの特性を把握し、トンネルの落盤防止に所々を青銅で補強したギーシュも地味に任務に貢献しているのだ。 「そうですか。その言葉を聞けばきっと奴も喜ぶでしょう」 笑顔で答えるグラモン伯爵は、その表情のまま付け足した。 「ですが言う必要はありません。つけあがりますからな、最近のガキは」 ヴァリエール公爵夫人ほどではないが、割とスパルタンな教育方針であるらしい。 「それにしても、何かご用の向きがあるのではないのですか?」 と、これは今までなし崩し的に姉の助手のようになっていたルイズの質問だ。 「ああ、古い友人に公爵家令嬢の様子を見に行け但し俺の娘に手を出したら殺すマジ殺すと言われてましてね」 元気そうで何よりと笑う伯爵に、ルイズとエレオノールはすいませんスイマセンと頭を下げ、クロコダインは大声で笑うのだった。 近来稀にみる速度で仕事を終わらせたマザリーニが隠し部屋を訪れたのは、昼を些か過ぎた頃合いである。 (今回の『大掃除』が終わったら仕事を押しつけられる後継者を育成しなければ) そんな決意を新たにしながら扉をノック、返事の後に部屋を覗いた彼の目に飛び込んできたのは夥しい数の刀剣類であった。 小は掌に納まる程のナイフから、大は3メイルは優にあるハルバートまでが無造作に床に転がっている。 「おう、早かったじゃねぇか。って手ぶらかよ、なんか手土産とかねえのか。メシとかメシとか、あとメシとか」 まるで部屋の主の様に声をかけるのはグラモン伯爵だ。いつもの事なのでいつもの様にスルーする。 クロコダインとヴァリエール家令嬢2人に一礼すると、マザリーニは残りの1人に声をかけてみた。 「一日来ないだけで素晴らしい部屋の惨状ですな。申し開きがあるなら聞きましょうか犯人」 「あっ、てめえなに人を武器マニアの散らかし屋扱いしてやがんだ! 謝罪と賠償請求すんぞコラ」 「訂正要求がない辺りで語るに落ちているのを自覚して下さい犯人」 社交用の仮面をノータイムでかなぐり捨てた伯爵にルイズとエレオノールは目を丸くしている。 「調べ物の一環とその結果、といったところですかな」 とフォローを入れたのはクロコダインだった。 ガンダールヴの能力は「あらゆる武器を使いこなす」ものだと言われている。 それは剣が得手ではないクロコダインがデルフリンガーを扱えている事からも明らかだった。そこで剣以外のものにも有効なのかと疑問を口にしたのがグラモン伯爵だ。 エレオノールとしては調査に横槍が入った形であるが、ガンダールヴの能力はこの後訪ねようとした事柄の一つであった。 更に伯爵とエレオノールは同レベルの土メイジであったが、こと武器というものに関しては彼に一日の長がある。 「成る程、そういう理由でしたか」 様々な材質の刀剣類を見渡して、マザリーニは納得の表情を浮かべた。 「それで有意義な結果は得られたのですか?」 「応よ。やっぱ馬鹿にしたもんじゃねえんだな、伝説ってのは」 グラモン伯爵の視線の先には、床に突き刺さった剣がある。 正確に言えば刺さっているのは刀身のみで、それも半ばから消失していた。 「そいつは鉄製なんだがな、同じく鉄製の短剣でスッパリ斬れやがった」 なかなか出来ることじゃねえや、と伯爵は感心しきりの様子だ。 エレオノールからすると、クロコダインは右手の指2本で短剣を挟み、無造作に横に薙いだだけにしか見えなかった。 無論クロコダインの技量の高さはあるのだが、それにしたところで指先に挟むしかない大きさの短剣を使い慣れているとは思えない。 ガンダールヴのルーン効果と考えて間違いはないだろう。 「どうよ」と胸を張るグラモン伯爵にはいはい偉いですねとおざなりな賞賛を送った後で、偉いからさっさと武器を片づけて下さいと告げるマザリーニだった。 ぶつぶつ言いながら刀剣類を真鍮製の薔薇に戻す伯爵を尻目に、エレオノールはマザリーニを交え調査を続行する。 「で、俺っちに聞きたい事があるって訳か」 どこか機嫌良さげにそう言ったのはインテリジェンス・ソードのデルフリンガーだった。 アルビオンの戦いではクロコダインに振るわれる事こそなかったものの、その魔法吸収能力などで勝利に貢献している。 その中でエレオノールが特に注目したのは、デルフリンガーがルイズを虚無の担い手と看破した件だった。 聞けばクロコダインの事も当初から 『使い手』と呼んでいたという。 あくまで自称ではあるが6000年も前に作られたというのは、ルイズはおろか前所有者であるオールド・オスマンですら眉に唾を塗るくらいの与太話だとばかり思っていたのだが、ここへきて俄然真実味が湧いてきた。 始祖ブリミルがこのおしゃべりな剣に関与しているならば、その能力にも納得がいく。 次期教皇候補であったマザリーニや始祖の業績を研究しているエレオノールにとっては、家屋敷を売り払ってでも手に入れたい、恐ろしく価値のある一品であった。 賭けチェスのカタにしたという武器屋の店主が聞けば血の涙を流していたかもしれない。 他方、「伝説の剣」という扱いで学院の宝物庫に放り込んでいたオスマンや、『神隠しの杖』と共にデルフリンガーを盗み出したフーケは結果的に見る目があったと言えるだろう。 実際には、両名ともこの剣に全く価値を見出していなかったのだが。 ともかく、これで伝説の彼方にあった始祖や使い魔たちの事が明らかになるかもしれないわけで、関係者が興奮するのは無理もない話だった。 ところが。 「それで、貴方を作ったのは始祖ブリミルだったのですか?」 「あー、どうだったかな……。その辺ちっと記憶が曖昧でなあ」 「では始祖に近しい他の誰かが作った可能性もあるの?」 「姉ちゃんだって生まれた時の事なんざ覚えてなかろ? ま、ガンダールヴの為に作られたのは間違いないんだがよ」 「始祖と会った事はあるのよね?」 「ああ、あるぜ。あんま覚えてないけど」 「彼の編み出した五系統魔法についてお聞きしても宜しいですかな」 「だからあんま覚えてないんだって……。なんでかね、嫌いな野菜とかは覚えてんのにな」 一事が万事こんな調子で、期待したほどの結果は得られなかったのである。 考えてみれば、幾らインテリジェンス・ソードとはいえ6000年前からの事を逐一覚えている訳もない。 そもそもクロコダインの手に渡った当初は、彼が『使い手』なのは判るのに『使い手』が何か思い出せないという状態だった訳で、それを考えれば記憶障害が回復しつつあるのかもしれない。 それに関してルイズやクロコダインに話を聞くと、どうもデルフリンガーは使い手の危機的状況に応じて、その都度自分の能力や必要な知識を『思い出している』傾向があるのが判った。 記憶の欠落があるのを考えれば魔法吸収や刀身の擬態化以外にも何か能力が隠されている可能性はあるが、だからといって人為的に彼らを危機に陥れる訳にもいかない。 それが妹の、親友の娘の使い魔となれば尚更だ。 それでも流石にガンダールヴの能力については色々な事が判明した。 能力が『心の震え』、つまり使い手の感情によって左右される事。 心の震えが大きいほど強い力を発揮できるが、その分持続時間は短くなる事。 これに関しては対ワルド戦においてクロコダインがその身を持って実証しているのだが、主からはお小言がでた。 あの時クロコダインは全くその様な素振りを見せていなかったのだが、ルイズ的にはそういう時はちゃんと不調である事を教えて欲しかったりするのである。 これは裏返すと使い魔のコンディションを見抜けなかったという自責の念からきている訳だが、実にわかりにくい事この上ない。 もっともかつてのパーティメンバーや同僚にも自分の感情を上手く出せなかったり、目的の為にあえて感情を偽ったりする者がいたので、クロコダインにとっては微笑ましい類の事ではあった。 話がそれたが、他にもガンダールヴは主が虚無魔法を詠唱している間だけ護衛できればいいという、ある意味で博打めいた能力設定になっている事なども判った。 詠唱時間こそ長いが、発動さえしてしまえば問答無用でカタがつくと考えれば、極端なコンセプトでも何とかなるのかもしれない。 現在判明している虚無魔法は『解除』ただ1つであるが、それでも有効範囲はニューカッスル城全体を覆っていたという。 更に恐るべき事に、ルイズは範囲内にある全ての魔法を認識し、なおかつワルド単体にのみ『解除』効果を適用させていた。 やろうと思えば範囲内全ての魔法効果を無効に出来たというのだから、専攻は違えど始祖の研究者たる2人が複雑な面持ちでため息をつくのも無理からぬ話である。 門外漢のグラモン元帥ですら、後日「ほら、ガキの時分に『火・水・風・土系統全てを融合させた極大超魔法』とか考えた事あるだろ。ぶっちゃけアレよりひでえ」と漏らした程だ。 ここまでくるとすぐにでもこの目で確認したいと思うのが普通であるが、残念ながらそういう訳にもいかなかった。 まだここに来ていない人物が、後で盛大に文句を言うのが目に見えていたからである。 その人物、つまりはヴァリエール公爵が現れたのは夕刻を少し過ぎた頃だ。 傍らにはオスマン学院長がおり、更にその後ろには夕食を持った数体のゴーレムが続いていた。 「すまない、遅くなってしまった」 遅参を詫びながら、公爵はマザリーニ及びグラモン元帥に視線を送る。 意味合いとしては、(私のいない間に小さな可愛いルイズの魔法を拝んだりはしていないだろうな? もししてたら決闘)というようなものだ。 対して友人たちは至って真面目な表情で視線を返した。 (うわめんどくせえ。あんま親馬鹿をこじらせるんじゃねえよバカ) (そう言うと思って待ってましたよ。貸し1ですから今度また例の店で肉料理奢るように。有効期限は1年間です) 長い付き合いなだけあって、アイコンタクトでここまで意志疎通出来るのだが、当人たちは別に嬉しくもなかった。 もっとも、公爵としては末娘の魔法について10年以上も思い悩んでいた訳で、それが(予想外の形ではあるが)解消されたのだから一番に見たいと考えるのは無理もない話である。 ルイズが内外から言いたい様に言われ続け、それでも折れる事なく努力を続けていたのを知っているからこそでもあったが。 そんな外には漏れぬやりとりの後、ヴァリエール公爵は懐から2つの小瓶を取り出しテーブルに置いた。 同時にオールド・オスマンが大切に抱えていた『始祖のオルゴール』をルイズに差し出す。 「あの、なんでしょうか学院長」 「何って、呪文唱えるのに必要じゃろ」 聞いた話では、ルイズは『解除』を一度しか唱えていない。また他の系統魔法と比べ虚無魔法はスペルが長く、詠唱に時間がかかるようだった。 それもあって、オスマンはオルゴールのサポートがあった方が良いと考えたのだ。 「いえ、呪文ならもう覚えてます」 戸惑いながら答えるルイズに、大人たちは「ほぅ」と関心の表情を浮かべた。 それほど表には出していないが、公爵とエレオノールも内心ではかなり鼻が高くなっている。 自分だけでなく使い魔や学友、隣国の王族の命がかかった場面で、しかも敵は操られた婚約者という精神的に追いつめられた状況下での事だ。 よもやスペルを暗記しているとは思いも寄らなかった。 「それでは始めるとしましょう。ルイズ嬢、その小瓶の中には魔法薬が入っています。向かって右の小瓶だけに『解除』をかけて頂きたい」 マザリーニの言葉に、ルイズはコクリと頷き杖を掲げた。 神経を集中させると、自然と呪文が脳裏に浮かび上がる。 スペルを口にするにつれ自分の体内に一定のリズムが生じ、同時に感覚が研ぎ澄まされていくのが判った。 テーブルの小瓶だけではなく父や姉の持った杖やデルフリンガー、グレイトアックスなどのマジックアイテム、また隠し部屋だけではなく上の城内にまで認識は広がっていく。 今回はそこまで感じとる必要はないので敢えて目の前の小瓶に集中し、ルイズは最後の一節を唱え、杖を降り下ろした。 なるほど、これが虚無魔法か。 グラモン元帥は感心しながらも、どこか冷静に一部始終を捉えていた。 というのも、他の面子の大半がいい感じに感極まっているので、自然と冷静になってしまうのである。 マザリーニはブリミル教の信徒として、絶えたと考えられていた虚無魔法を目の当たりにしたのだから、感動するのは当然と言えるだろう。 オールド・オスマンはお世辞にも熱心なブリミル教徒とは言えなかったが、長い間魔法研究と指導、メイジ育成に関わってきていた。 またルイズは無論の事、その姉や、父親ですらがかつての教え子であり、彼らの苦悩や努力も知り得る立場にある。ルイズの魔法成功に感情を動かされるのも無理はない話だった。 エレオノールやヴァリエール公爵に至っては語るまでもない。ただ涙を堪えるのに必死といった風情だ。 クロコダインはこの中で一番ルイズとの付き合いが短いのだが、フーケ戦と今回のアルビオン行を経た今では主と使い魔以上の繋がりで結ばれている。 ルイズの虚無魔法を見るのは二回目とはいえ元より見かけによらず涙もろい彼の事、主の内心を慮んじてその隻眼に涙を浮かべるのも止むなしと言ったところだった。 そんな訳で、『皆が酔っぱらってしまったので冷静にならざるを得ない下戸』状態の元帥は、仕方ねえなあと内心でぼやきつつ小瓶に『ディテクト・マジック』をかける。 結果、指定された右の小瓶のみが探知魔法に反応しない事が判明した。魔法薬が完全に無効化され、只の水になっていたのである。 成功を告げられたルイズは、ほっと胸をなで下ろした。 あの時と同じように体内に独特のリズムが生まれていたし、スペルも一言一句間違えなかった。 しかしギャラリーがギャラリーだけに、緊張を強いられていたのは、まあ無理からぬ話ではあったのだった。 ともあれ上手くいって良かったと思った瞬間、彼女は父親に抱きしめられていた。 「と、ととと父様!?」 驚くルイズの声が聞こえているのかいないのか、謹厳でしられる公爵はお構いなしに末娘の小柄な体を抱き、その耳元に話しかける。 「良かった、よくやったなルイズ……! ついにこれまでの努力が実ったのだな……!」 流石は私とカリーヌの子だ、と手放しに喜ぶ父の言葉に、ルイズの涙腺が緩む。 「……はい、はい父様、ありがとうございます……っ」 これまで魔法が使えない事で家族から疎まれてきたのではないかという恐怖に、ルイズは常に晒されてきた。 だが、そんな長年の懸念は公爵の行動によって一瞬のうちに解消された。 ルイズは鳶色の瞳にいっぱいの涙を溜めながら、真夏に咲く花のような笑みを浮かべたのだった。 さて、そんなこんなで虚無魔法の実演は終了した。 ここで終われば感動的な話として美しい思い出になったのだろうが、そう上手く運ばないのが人生というものである。 続けて細かい条件を変えての『解除』をしたり、同時に複数の対象を『解除』できるか試したりとしていた訳だが、問題はこの後に起こった。 虚無という特殊極まりない属性とはいえ、系統魔法に目覚めたのだから他属性も使えるのではという推論をエレオノールが主張したのである。 確かにメイジは自分の属性以外の系統魔法も使う事ができる。無論属性外故、威力や効果は落ちる訳だが。 で、うきうき気分でルイズが小瓶に『練金』をかけたところ、ものの見事に失敗してテーブルごとずどんと爆発したのである。 「え、えええ? ななななんでどどうして」 これまでがトントン拍子に上手くいっていた為、ルイズの動揺もいつもより大きくなっていた。 あわあわと両手を上下させパニックになるルイズをクロコダインがやんわりと宥める。 その後ろではヴァリエール公爵が、難しい顔で友人と長女に尋ねていた。 「どう思う?」 「正直なところ、サンプルが少なすぎて何とも。しかし伝承では虚無を含めた5つの系統魔法は始祖が編み出したものとされています」 「当然始祖ブリミルはその全てを使いこなしていた筈なのですが……」 ふむ、と公爵は腕組みを解く。 「ミス・ヴァリエール。ひょっとしたら土系統の魔法は相性が良くないのかもしれぬ。違う系統魔法も試してみてはどうかの」 そう提案したのはオールド・オスマンであった。 確かに火系統の術者は水系統の魔法を苦手とする様に、属性と逆の系統は扱いにくい例がある。 それでは、と各系統のドットスペルを唱えてみたルイズであったが、結果は全て爆発というこれまで通りの現象を引き起こしていた。 しかし、駄目で元々とコモン・スペルを唱えてみた所、これが予想に反し爆発などせず見事に成功したのである。 『火竜山脈の天気とタニアっ子の流行』とはトリステインの格言で『変化がめまぐるしい』という意味だが、この時のルイズは正にそんな感じだった。 動揺していたのはどこへやら、ロック、アンロック、ロック、アンロックと繰り返しつつ、扉に向かってエヘヘヘヘヘ、と笑う彼女にエレオノールが「やめなさい、みっともない!」と制止するが、まあ気持ちは判らないでもない。 「虚無以外の系統魔法は全滅だが、コモン・マジックは成功する様になった、か」 「これまでは成功率0だった訳ですから、大きな進歩と言えなくもありませんな」 「使えるようになった理由はマジさっぱりだけどな」 「ところでそろそろ酒とか入れたくなってきたんじゃがの、わし」 真面目にやる気あんのか、と突っ込む元教え子たちに学院長は体育座りでこれみよがしにいじけてみせる。 いいじゃないか少しくらいボケても、真面目に考察とかして疲れんのかお前等、などとぶつくさ呟いているがいつものように総スルーであった。 一応この老人、トリステインでも有数のメイジなのだが。 「まあなんじゃ、自分の系統に目覚めた事によって精神的に何らかの『パス』が開いたのか、あるいはこれまでは力みすぎていて魔力が暴走していたのが成功体験によって落ち着いたというとこじゃろ、多分」 もっともさらりと的を射た指摘をしてみせるあたり、この老人油断がならない。 最初からそうしろという公爵・元帥・枢機卿の言葉は、当然いつものようにスルーされた。 コモン・マジックが成功したところでこの日の集まりはお開きとなったが、それで全て終わった訳ではない。 精神力の回復をしつつ、ルイズは様々な検証をする事となった。 検証は主にエレオノールが担当し、開いた時間にマザリーニや公爵が加わる形で行われ、たまに物見遊山気分の学院長や元帥が加わる場合もあった。 その間に『大掃除』の準備が着々と進んでいたり、娘から事情を聞き出したマリアンヌが密かにマザリーニに難題をふっかけたりしていたのだが、客人扱いのルイズにそんな事は知ろう由もない。 結局彼女が使い魔と共に学院へ戻れたのは、アルビオンを脱出してから丁度1週間が過ぎた頃になったのだった。 前ページ次ページ虚無と獣王
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33 虚無と伝説の剣 前ページ次ページ虚無と獣王 クロコダインはルイズをその背に隠すような形のポジションを確保すると、4人のワルドをその隻眼で睨みつけた。 肩に乗っていたフレイムはブレスを吐いた後、素早く床へと降り立ち、床に座り込んでいたキュルケのもとへと駆けつけている。 途中まで同行していたサンドリオンの『遍在』は、現在レコンキスタ艦隊所属の竜騎士たちを相手にしている筈だ。 礼拝堂へと急ぐ道筋において、時間最優先でいくつかのフネをフライパスしてきたのだが、相手がこちらを見逃してくれる訳がない。 不用意に近付いてきたメイジを通常の3倍近い長さのブレイドで斬って落としたサンドリオンは、なんとそのまま主のない火竜に飛び移った挙げ句、気性の荒い事で知られるそれを尋常ではない目の力だけで服従させた。 「必ず追いつく。先に礼拝堂へ!」 短く告げる言葉の中に焦りの様なものと、それを押さえつけて最善を尽くそうとする意志を感じ取ったクロコダインは、短く「恩に着る」とだけ言い残してその場を後にする。 その後、礼拝堂の大きさからして翼竜は身動きが取りにくく敵の的になると判断し、ワイバーンを『魔法の筒』に格納した上で屋根を突き破り──現在に至るという訳である。 ルイズの目を通して大体の事情は把握していたクロコダインだが、視界が同調していたからこそ判らない事もあった。 ルイズの心身状態である。 ざっと見たところ大きな怪我はなさそうで密かに胸を撫で下ろすクロコダインだが、だからといって裏切りを働いた男を許す理由にはならない。 体の怪我はある程度見れば判るが、心の傷は外からは判らないからだ。 ワルドを露ほども疑っていなかったルイズにとって、この背信はいかほどの衝撃であったかは想像に難くない。 故にクロコダインは無言のまま腰のデルフリンガーを抜き放ち、その切っ先をワルドへと向けた。 「相棒といると飽きなくていいねえ、今度のお相手はスクエアメイジかい!」 カタカタと陽気な声で鍔を震わせる大剣は、既に刀身を輝かせた実戦モードだ。 「フレイム、キュルケをルイズたちと合流させろ。そこの御仁、すまんがまだ戦えるだろうか?」 ウェールズとはこれが初対面となるクロコダインである。 「この程度で音を上げる様では物笑いの種となってしまうな。父や部下たちに指を指して笑われるのが目に浮かぶよ」 余りにも突然現れた見た事もない獣人に最初は驚き警戒した王子だったが、『遍在』の一人を鮮やかに消滅させた手並みを見れば味方であるのは瞭然だ。 正直に言えば精神力の限界が近いのだが、ウェールズにも意地というものがある。 「無理はして下さるな。身を守るのが最優先でいい」 一旦言葉を区切り、クロコダインはルイズに語りかけた。 「後はオレの仕事だ。遅れてしまった分は、戦働きで返そう」 ルイズは己の使い魔に、何を言えばいいのか判らなかった。 純白のマントは黒く焼け焦げ、身を覆う防具もよく見れば欠けたりひび割れたりしている。 ラ・ロシェールでフネから見えたライトニング・クラウドは、やはりクロコダインに対するものだったらしい。 鎧の下の体がどうなっているかは判らないが、無傷であろう筈がなかった。そんな状態の彼が遅参を詫び、更に戦おうとしているのである。 これ以上傷ついてほしくない自分と、クロコダインの言葉を聞いて確かに安堵している自分がいる事に、ルイズは自己嫌悪を覚えていた。 クロコダインの宣言が終わるのとほぼ同時に、3方向から絶妙にタイミングをずらした『エア・カッター』が襲いかかる。 どの方向にかわしても一つは必ず直撃するコースで、うち2つは避ければルイズやウェールズに当たりかねない。 「唸れ、疾風!」 グレイトアックスから放たれた呪文は風の刃の2つを相殺し、残りの1つは敢えてかわさずそのままその身で受け止めた。 既に罅が入っていた鎧の左胴部分が砕けるが、その下の鱗にはうっすらと傷が浮かび上がるに留まっている。 「唸れ、炎よ!」 お返しとばかりに大戦斧からラインスペルに相当する炎熱系呪文が発動しワルドへと向かったが、これは2人分のエア・ハンマーによって軌道が逸らされてしまった。 更に一瞬の間をおいてフレイムのブレス攻撃があったが、こちらはレビテーションで回避される。 そのまま浮かび上がったワルドと正面に立っているワルド、こちらから見て左手側にいるワルドが同時にエア・ハンマーを放つが、標的となったクロコダインは『気』を防御に回してブロック、文字通りその身を盾にしてルイズを庇った。 しかし間髪入れず一番奥、ブリミル像の真下に陣取ったワルドが『マジック・アロー』を唱える。 直撃すれば屈強な戦士でも即死する強力な呪文を立て続けに5発、飛竜すら撃墜可能な魔法攻撃だった。 『閃光』の二つ名は伊達ではないと言わんばかりの詠唱速度である。 対して、クロコダインに攻撃をかわすという選択肢は存在しない。背後にルイズやキュルケたちがいる限りは。 今までの風魔法とは異なり、『マジック・アロー』は熱量を矢として相手にぶつける魔法である。クロコダインの防御力がいくら高くとも確実にダメージを与える事が出来ると踏んだ上での攻撃だ。 とっさに急所のみをガードしようとするクロコダインだったが、そこへ異を唱える声が上がった。左手に握られたデルフリンガーである。 「大丈夫だ相棒、そのまま俺をかざしな!」 反射的に大剣を前に突き出すと、あろうことか魔法の矢は淡く光るデルフリンガーの刀身に吸い込まれ、跡形もなく消滅しまった。 「いや、すっかり忘れてたぜ! こいつが俺の力の一つよ! 『ガンダールヴの左手』デルフリンガー様のなぁ!」 「デルフ、まさか、魔法を吸収できるのか!?」 「おうよ! ちゃちな魔法なんぞどうという事もねぇさ。大船に乗った気分でいいぜ、相棒!」 ノリノリな大剣の返答に、クロコダインは素直に感心する。 元いた世界には雷系以外の魔法を完全無効化する攻防一体型の武器が存在したが、魔法そのものを吸収してしまう剣というのは見た事も聞いた事もない。 ともあれ、これは予想外の幸運であった。思えばラ・ロシェールの戦いで2度のライトニング・クラウドの直撃に耐えられたのも、デルフリンガーがある程度威力を緩和していたからであろう。 なんにせよ、メイジにとっては天敵といえる剣を前に、これまでほとんど無表情だったワルドは微妙に顔を歪めていた。 逆に後ろで見ていたルイズは胸を撫で下ろしている。 先程の攻防では『エア・カッター』や『エア・ハンマー』が己の使い魔に直撃するたび、生きた心地がしなかったのだ。 いくらクロコダインがタフであっても、自分を守るために傷ついているのは紛れもない事実である。 しかしデルフリンガーの能力があれば、もうそんな心配も必要ない。 全く、よくも武器屋からこの剣を賭けチェスの賞金代わりに巻き上げてくれたものだと、ルイズはオールド・オスマンに感謝した。 しかし、ルイズのそんな心情を知ってか知らずか、クロコダインはワルドを目で牽制しつつデルフリンガーを逆手に持ち、そのまま後方──即ちウェールズの足下へ投擲した。 「デルフ、すまんが皆のことを頼むぞ」 「ってちょっと待て! そりゃあねぇだろ、相棒!」 「クロコダイン!?」 「そんな、無茶よ!」 一瞬の間も置かず、剣と2人の少女が叫ぶ。 デルフリンガーはやっと巡り会えた相棒、神の盾ガンダールヴにこれから振るわれるのだとばかり思っていたし、ルイズとキュルケはどうしてクロコダインが自分に不利となる行動に出たのか判らなかったのだ。 一方、ウェールズは、床に刺さった大剣を右腕で引き抜くと、左肩の痛みを無視してゆっくりと構えを取った。 「……確か、デルフリンガーと言ったね。すまないが協力してくれないかな」 ウェールズには朧気ながらクロコダインの真意が見えている。 クロコダインに魔法が効かないとなれば、ワルドは確実に自分たちを標的としてくるだろう。元々ウェールズ殺害が目的の様であったし、ルイズやキュルケが人質に取られたらその時点でチェックメイトだ。 それを防ぐには先程までのようにクロコダインが防御に専念しなければならず、しかしそれでは攻撃に移れない。 だが、こちらに魔法吸収能力などというレアな能力持ちのインテリジェンス・ソードがあれば、また話は変わってくる。 相手がこちらへの魔法攻撃は無駄だと判断すれば、クロコダインが足を止めて盾役に徹する必要もなくなるのだ。 とはいえ懸念がない訳ではない。 少なくとも風系の遠距離魔法は吸収できていたが、デルフリンガーがどこまでの性能を持っているかは未知数だ。 またウェールズには剣の心得があるのだが、それはあくまで近距離戦闘魔法のブレイドを用いるのが前提である。 実体剣などはあくまで平民が使う武器であり、しかも150サントもあるデルフリンガーを自在に操る自信など彼の内には存在していなかった。 もっとも、これが自分の役目であるという事をウェールズは認識している。剣と同じくらいの身長のルイズは論外としても、キュルケにも大剣が扱えるとは思えなかったからだ。 まあ仮に彼女らがメイジ殺しの様な実力の持ち主だったとしても、戦いを押しつける様な真似などできはしなかっただろうが。 「ああ、もう仕方ねえ! 魔法はこっちに任しとけ、隙があったら斬りかかってもいいからな!?」 ウェールズの手に収まったデルフリンガーはそんな愚痴めいた台詞をこぼした。 手に取った者の能力を読み取れる能力を持ったこの剣はウェールズに対してさほど期待を抱いてはいなかったが、床に刺さったままよりは遙かにましであろう。 6000年の長き時を経ているせいか、普段は昔の事や自分の能力等には霞がかかった様な状態であるのだが、今日は違う。何故かはわからないが絶好調と言っていい。 だから、デルフリンガーは敵であるワルドに対してどこか違和感を覚え、手負いのウェールズをフォローするべく自分の柄を握ったルイズの能力を自動でスキャンし、結果として心の底から驚いたのだった。 ルイズという少女は、心の中にひとつの理想像を持っている。それは魔法に熟達し、弱き者を助け、敵に決して背を向けない立派な貴族の姿だ。 それは『貴族とはかくあるべし』という両親の教育の成果であり、また両親の背から自分で学び取ったものでもある。 しかし幼い頃はルイズにとっての目標であったそれが、魔法発動率が限りなくゼロに近いと揶揄される様になってからは重圧となっていた。 故に彼女は座学においては常に学年トップの座を譲り渡さぬ位熱心に勉強してきたし、実技においても『どうせ失敗するのだから』などという理由を付けて手を抜く様な事など考えもしなかったものである。 クロコダインの召還に成功してからは些かその重圧も薄れていたが、先日のフーケ討伐において人質になってからは自分の魔法について再考せざるを得ない状態となっていた。 ルイズにとって、誰かの足手まといになるのは最大の禁忌であり、敵に対しては何としてでも一矢を報いたいと思う。 ──それが、10年前から心の支えの一つであった婚約者であったとしても。 クロコダインは敢えて自分に攻撃を集中させようとしている。 それはこのメンバーの中で耐久力が一番高いのが己であるという自覚があったからだが、他にもいくつかの理由があった。 今、彼の心の中には怒りが満ちている。 それはよりにもよって主であるルイズを裏切ったワルドに向けたものでもあるが、ルイズを危険に晒した自分に向けたものでもあった。 もしキュルケがこの場にいなかったら、もし自分の到着がほんの少し遅れていたら、間違いなくルイズの命はなかっただろう。 それを考えれば、自分が魔法吸収能力を持つデルフリンガーを使える道理がなかった。 少しはこの身が痛い目に合わねばルイズに申し訳が立たないと、無骨な獣人は本気で思っていたのである。 ワルドからは『エア・ハンマー』『マジック・アロー』といった攻撃魔法が矢継ぎ早に放たれていたが、クロコダインは全く防御せずに全ての『闘気』を攻撃に割り振った。 怒りは力に変換され、不可視の槌は一瞬の足止めにすらならず、魔法の矢が鎧を砕き鱗に突き刺さってもまるで意に介さず、大戦斧の一撃が『遍在』の一体を両断する。 鈍重な印象を受けがちな巨体は恐ろしく俊敏に動き回り、『エア・カッター』の半分以上は彼の体を掠める事も出来なかった。 流れ弾の様にルイズたちの方へ向かった魔法は、全てデルフリンガーに吸収されている。 ウェールズが残り少ない精神力で発動させた水系統魔法によって、彼らの周囲にはごく薄い霧が立ちこめており、目に見えない風魔法を捕らえやすくしていたのだ。 左肩の傷が響く王子をフォローするべく、ルイズはインテリジェンス・ソードを彼が取り落とさないよう必死に握りしめていた。 キュルケとフレイムはワルドが格闘戦を挑んできた時に備え、それぞれ本体とも『遍在』ともしれぬ姿から目を離さず警戒する。 こちらからも攻撃を仕掛けたいのは山々なのだが、目まぐるしく動き回るワルドに対する有効な魔法が無かった。 追尾能力がある『フレイム・ボール』は精神力不足で唱えられず、『マジック・アロー』や『ファイヤー・ボール』は風メイジに対しては相性が悪すぎる。 回避されるだけならまだしも、軌道を反らすことでクロコダインに当てられでもしたら目も当てられない。 臍を噛むとはこのことか、と血の気の多いキュルケは美しい顔を歪ませる。 そしてルイズもまた、悪友と同様の思いにとらわれていた。 2体の『遍在』を潰されたワルドは新たに1体の分身を生み出している。1体しか出てこないのはさしもの彼も精神力の限界が近いのか、それとも油断を誘う為の擬態か。 倒した筈の敵が無傷で再び現れるのというのは、精神面において大きなダメージとなる。しかし、ルイズの目に映るクロコダインは臆する素振りなど欠片も見せてはいなかった。 むしろワルドが4人がかりでようやく互角の戦いに持ち込んでいる印象すら受ける。なればこそ、ここで加勢できていれば一気に勝負をつけらける筈なのだ。 唇を噛みしめるルイズに、先程から何故か無言だったデルフリンガーがぼそりと呟いた。 「なあ娘っ子、相棒を助けてぇか」 「当たり前でしょ!」 喰ってかかる様な少女の返答には全く怯まず、そのままの口調であっさりと剣は鍔を鳴らす。 「だったら話は簡単だ。後生大事に抱え込んでるオルゴールの蓋を開けりゃいい。それで全部解決だ」 怪訝な顔をするルイズに、デルフリンガーは言葉を重ねた。 「いいか、相棒は間違いなく『ガンダールヴ』だ。じゃあその相棒を召還したお前さんは何者だ? かつて神の盾を召還したのは一体誰で、どんな魔法が使えたと思う?」 「ちょっと待ってくれ! 君は、ミス・ヴァリエールが虚無の使い手だと、そう言っているのか!?」 周辺への警戒をしながらも、ウェールズの声は上擦っている。もっとも、始祖ブリミルの死後6000年もの間途絶えたとされていた虚無魔法の使い手が自分の隣にいるとなれば、それも無理のない話であった。 「デルフ……それ、本当なの?」 ルイズにしてもまさかという想いの方が強い。確かに自分が虚無の担い手ならば、常に魔法を失敗してしまう現象にも一応の説明はつく。 しかしさしものルイズも自分と始祖を同列に考えてしまえるほど神経が太くはなかった。 「だからよ、オルゴールを鳴らしてみりゃあ分かる話だって。ちゃんと『風のルビー』は填めてるし、『水のルビー』も持ってるだろ?」 どうやらこの剣、自分に触れた者の力量や能力を読みとる力があるらしい。 また『風のルビー』はともかく、『水のルビー』や『始祖のオルゴール』を持っているのに気が付いている辺り、装備品に関しても同様の力が発揮できる様だった。 「ラ・ヴァリエール嬢、残念ながら議論している暇はない。ここは彼の言う通り『始祖のオルゴール』を使ってみてはくれないか」 幸いクロコダインが攻めに転じている為、ウェールズやルイズに対する攻撃は収まっている。 6000年もの間、その使い手がいなかったとされる虚無魔法にどんな効果があるのか全くの未知数ではあるのだが、少なくとも状況が悪化する事はあるまい。 「しかしまあなんだな、あの兄ちゃんも操られて相棒と戦う羽目になるなんざぁ、余っ程ツいてねえんだろうなあ」 王子に促され半信半疑のまま懐のオルゴールに手を伸ばしたルイズは、「あ、また一体やられた」と感心しているデルフリンガーの独白に思わず動きを止めた。 「操られて……って、今そう言ったわね!?」 「ああ、なんてーか今日の俺ぁちょっと冴えててな、色んな事を思い出してんのよ。だからあの風メイジが俺と同じ先住の魔法で動いてんのも判る」 先住魔法。人間のメイジが使う系統魔法とは異なりエルフや翼人などの亜人が得意とする、精霊を使役する術だ。 「もっとも完全に操られている訳じゃねえみたいだがね。いいとこ8割ってとこか?」 細かい理屈はともかく、裏切りが本人の意思ではないとしたら事態はより複雑で対応が困難となった。 これまでクロコダインが倒したワルドは幸か不幸か全て『遍在』だったが、彼が操られていると判明した以上うかつな攻撃はできなくなるのだ。 更に『遍在』は当然本体と瓜二つであり、おまけに戦闘の常として激しく動き回っている。分身だけを潰すのは至難の業であるとルイズなどには思われた。 只でさえ不利な条件で戦っている使い魔になんと声をかけるべきか判らず口ごもるルイズに、しかしクロコダインから背中越しに声が掛けられる。 「大丈夫だ、任せておけ」と。 体が軽い。 フーケ戦の時に感じた、戦闘補助呪文を掛けられたかの様な身体能力の向上効果を、再びクロコダインは感じていた。 しかも、今回は前にも増して力が湧き上がってくるのが分かる。無尽蔵に『闘気』が溢れ出ていると言っても過言ではない。 だがその力を考えなしに揮う訳にはいかなくなった。 ワルドが操られているというデルフリンガーの指摘が彼の耳にも届いていたからだ。 目の前にいる『ワルドたち』は、外見においては全く見分けが付かない。 どれが本体か分からなければ取り押さえる事が出来ず、うっかり『遍在』と思って攻撃したら本体でしたでは笑い話にもならないだろう。 ワルド、もしくは彼を操っている者もそれが分かっているのか、戦いの最中にも巧みに体の位置を換える事で特定されるのを防いでいた。 否、ここは防いでいるつもりだったと言うべきだろう。 なんとなれば、ラ・ロシェールで白い仮面の男と戦った時の様に、クロコダインはワルドの気を探っていたからだ。 本体と同一の姿と能力を生み出す『遍在』の魔法であるが、ハルケギニアでは未知の存在である『気』を模倣するには至らなかった様だった。 本体を見分けられるのは大きなアドバンテージと言えるが、それでも相手を生け捕りにするのは簡単ではない。 普段より速く動けるのは確かだが、残念ながら本領を発揮した風メイジには及ばない。 何体かの『遍在』を倒せたのも、相手の虚を突いたという面が大きいとクロコダインは捉えていた。 決して少なくない戦歴を持っている彼であったが、ここまで動きの良い魔法使いと争ったのは初めてである。 かつて仕えていたが、後に袂を分かった魔王や大魔王、同僚であった竜魔人は体技にも魔法にも秀でていたが、いずれも戦士が基本となっていた感は否めない。 しかし唱える呪文や効果に差はあるものの、共通する部分もまた存在している。クロコダインはそれをルイズと共に出ていた学院の授業で学んでいた。 それを踏まえた上で、彼は以前おそるべき強敵に対して選択した戦術を使うべく、口元に凄絶な笑みを浮かべてこう言い放った。 「ワルド、あの『雷の魔法』で来い……!」 そうでもしなければこのオレの首はとれないぞ。 キュルケはそんなセリフを聞いた時、まず自分の耳を疑い、次にこの獣人の正気を疑った。 雷の魔法とは間違いなく『ライトニング・クラウド』の事だろう。 キュルケはお世辞にも真面目な学生ではなかったが、スクエア・クラスのメイジが放つそれがどんな威力を持っているか分からぬ程、愚かでもなかった。 しかもワルドは本体を含めあと3人。残りの精神力がどれくらい残っているかは未知数だが、雷撃が単発で終わると考えるなどという楽観的な予想は出来ない。 ならば、1人でも倒そうと少ない精神力に鞭打って炎球を作り出す彼女だったが、それを放つ前にワルドの呪文は完成していた。 刹那、耳をつんざく様な轟音と目映い光が広い礼拝堂を満たす。 雷は同時に3発がクロコダインに直撃し、更に間を置かず次々と襲いかかった。 『ライトニング・クラウド』の猛威は周囲にも及び、デルフリンガーに守られたルイズやウェールズはともかく、キュルケは危険を察知したフレイムに半分引きずられる形で距離を取らざるを得ない。当然『フレイム・ボール』は中断されている。 放たれた雷は計10発。頑強なトロール鬼を一撃で屠る力を持つ魔法がクロコダインに降り注いだのである。 通常、1体の獣人にここまで魔法が使われる事はない。戦場ではオグル鬼やコボルト鬼の群れ、また砲亀兵を擁した敵軍に使用される場合はあるのだが。 結果、当然の事ながら絨毯が敷かれた床は粉砕され、熱とまだ僅かに残る放電、床石材の土煙で周囲の視界は閉ざされてしまった。 あまりにも速い魔法の連打に思わず言葉を失うキュルケとウェールズだったが、しかし、そうはならなかった者が1人いる。 「ラ・ヴァリエール嬢……?」 当初、ウェールズはこの少女が精神の均衡を崩したのかと思った。 己の使い魔の危機になど意にも介さず、ただ虚空に耳を傾けている様に見えたからである。 しかしすぐにそれは間違いだと悟った。彼女の口からは今まで聞いたことがなく、どの系統魔法にも属さない、けれどしっかりとした文脈の呪文が紡がれていたからだ。 その手には蓋の開けられた『始祖のオルゴール』がある。 ウェールズの耳には何も聞こえないが、もし、デルフリンガーの推測が当たっているとすれば──。 濛々たる土煙の中で、何かが動く気配がした。 ほぼ同時に2人のワルドが反応する。 1人は最短距離を地面スレスレの『フライ』で飛び、もう1人は大きく廻り込む軌跡を描く。 そして後方にいる最後のワルドは、視界を確保し現状を把握する為『ウインド・ブレイク』を放った。 荒々しい風が埃を吹き飛ばすと、そこには顔の前で両手をクロスさせたクロコダインの姿が見える。 頭部、肩、腕の鎧は完全に砕かれマントなどもはや跡形もない。オレンジ色の鱗は黒く焼け焦げ、あちこちから煙を漂わせている。 元の姿を保っているだけでも驚嘆すべき事ではあるが、そのダメージが深刻なのは確かだった。 好機と捉えたのか、正面のワルドは『フライ』を解除し、その勢いのまま『ブレイド』で彼に斬りかかり──クロコダインが投げつけたグレイト・アックスの直撃を受け霞と消えた。 時間差で左側、すなわちクロコダインの死角へと回り込んだワルドは、得物を手放した獣人のリーチ外から攻撃すべく『ブレイド』の長さを延長させ──それを振るう間もないまま淡く輝く闘気弾を頭部に喰らい、『遍在』としての生涯を終えた。 クロコダインの左目はまだルイズと視覚がリンクしており、虚を突いたつもりのワルドの動きは完全に捉えられていたのだ。 更に言えば放出系の闘気は今まで使ってこなかった技であり、いかにスクエア・メイジとて初見で対応はできなかったのである。 残るは本体のワルドのみ、もはや己を守る盾はないこの状態で、グリフォン隊の隊長は敢えて矢面に立つ事を選択していた。 1体目のワルドが撃破された直後、ワルドは風の魔法を応用して天井近くまで跳びあがる。そのまま『ブレイド』を形成すると落下の力を加えた上で勢い良くクロコダインへと突き出した。 杖剣を中心に魔法力を集めて作られた刃はガードしたクロコダインの右掌を容易く貫き、更に肩にまで達したところでようやく止まった。 オルゴールから男のものとも女のものともしれぬ不思議な声が聞こえてくる。 古代語である。ルイズはこれまで自分が真面目に勉強してきて良かったと心から思った。 序文から始まるその声は、デルフリンガーの推測が正解であった証でもある。正直まだ実感が湧かないのだが、どうやら自分は虚無の担い手であるらしい。 眼はクロコダインとワルドを追っているのだが、彼女の神経は完全にオルゴールの声に集中している。 虚無魔法の説明と聖地に関する願い、そして注意事項を告げた後で始祖の名と共に序文は終了した。続いてオルゴールはルイズの一番強い願いを読み取ったかの如く、1つの呪文を紡ぐ。 『ディスペル・マジック(解除)』、それがその呪文の名前だった。 『ブレイド』は魔力で編まれている特性上、実体剣の様に切れ味が落ちたりする事はない。後は肩に食い込んだ刃をそのまま横に薙げばそれでこの戦いは終わる。 しかし、ワルド、もしくはワルドの操り主の予測は脆くも砕け散った。 クロコダインは『ブレイド』に貫かれた右手を引き抜かず、逆に押し込む様に前進しワルドの上腕部を鷲掴みにしたのである。 鍛えられた腕を4本指の右腕が握り潰さんばかりに引っ掴み、驚愕に見開かれる双眸をたった1つの瞳が睨む。 「ようやく捕まえたぞ」 口の端に笑みを浮かべた鰐頭の獣人は、思い切り息を吸い込み──そして吐き出した。クロコダインの奥の手のひとつ、零距離からの『焼けつく息』を。 避ける間もなくワルドの体は高熱で包まれ、しかし熱傷による痛みを無視して後退しようとする。自分の体を守ろうとする意志に欠けた、人形のような動きだ。 ところが意に反して長駆は全く動こうとしない。否、動けないのだ。それは『焼けつく息』に含まれた麻痺成分による効果だった。 ワルドを生かしたまま捕らえるにはこの技しかない。 そう考えたクロコダインはワルドを挑発する事で精神力を消費させ、更に『ライトニング・クラウド』を耐え切りさえすれば相手が接近戦を挑むと踏み、そのように戦いの流れを誘導したのである。 体の中に何かが渦巻いていた。 最初は小さな波の様だったそれは、詠唱が続くにつれ大きくなり、一定のリズムと共に溢れかえりそうになる。 生まれて初めての感覚だったが、ルイズは直感的にそれが呪文が完成する兆しだと確信していた。 得意な系統の呪文を唱えた時に術者が感じる独特のリズムについては彼女も両親や姉たちから聞き及んでいたが、つまりこれがそうなのだろう。 系統魔法のそれに比べかなり長い呪文が完成するのと同時に、ルイズはその魔法の効果を知った。 系統、先住を選ばず、全ての魔法効果を無に帰す虚無呪文。今の自分ならこの礼拝堂はおろかもっと広い範囲にまで効果を与えられるが、そこまでする必要はない。 故に彼女は出来うる限り効果範囲を絞り込み、ワルドの体だけに『ディスペル・マジック』を発動させた。 前ページ次ページ虚無と獣王
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11 生徒たちと獣王 前ページ次ページ虚無と獣王 三日間の自宅謹慎を終え、ルイズたちは久しぶりに部屋から出る事を許された。 以下、謹慎中の出来事について。 謹慎中にワインを痛飲した者及び痛飲させられた者は、翌日全く記憶のないメイドに向かってひとしきり恨み節を吐いた後、揃って水の秘薬を持ってくるよう命じた。 当然二日酔い対策である。 一番飲んでいた筈のシエスタが、当日の記憶がない事以外全く酔いの跡を残していない事について、ルイズとキュルケは理不尽だと思ったが口には出さなかった。 頭は痛いわ気持ちは悪いわで、そんな元気すら湧いてこなかったからである。 幸い水の秘薬の効果によって二日酔いからは脱出できたが、その分想定外の出費に懐は寒くなった。 レポート作成の為に図書室に行くのは許可された為、謹慎組は自然とそこで顔を合わせる機会が多くなり、そこでも少しのトラブルが起きた。 王室に関しての参考文献を探していた筈のギムリが何故か学院の古い設計図を発見したり、 水兵について調べていたマリコルヌが突然ハァハァ言い始めたり、 ギーシュとモンモランシーが犬も喰わない痴話喧嘩を始めたり、 毎日図書室に入り浸っているタバサが煩い連中を纏めてエア・ハンマーでふっ飛ばしたり。 そのレポートに関しては、ルイズ・モンモランシーは独力で、キュルケは帰ってきたタバサの協力で、ギーシュ達はレイナールのアイディアをほぼパクッて終了させた。 出来に関しては推して知るべし。 自習にしてまでクロコダインの話を聞こうとしたコルベールは、無事に話は聞けたものの、後で学院長に知られ酷く叱責された。当たり前だが。 この時、クロコダインが東方ではなく異世界から来た事が発覚し、ルイズ・コルベール・クロコダインにはオスマンから厳重な緘口令が敷かれた。 異世界から来たクロコダイン、異世界にゲートを繋げたルイズの情報が外部に知られた場合、余り愉快な事態にはならないと考えられた為である。 「さて、そんなこんなで謹慎期間が終了した訳だけど」 フェオの月、ティワズのオセル、夕食後。 ヴェストリの広場に1人の少女が仁王立ちしていた。 桃色の髪にスレンダーな肢体、言わずと知れた『ゼロ』のルイズである。 彼女はいつもの制服姿ではなく、綿のシャツに乗馬用のズボンと活動的な服装で、手には何故か乗馬用の鞭を持っていた。 そして胸を張り、威厳に満ちた表情で告げる。 「監督として今回の訓練における意気込みをみんなに聞いておきたいと思います」 「その前に質問があるのだが」 ルイズの前に体育座りをしている男子生徒4人の中の1人、『青銅』のギーシュが手を上げた。 「なにかしら、ギーシュ」 「本当に監督をする気なのかい?」 「何か問題でも?」 質問に質問で返される。ギーシュはこの少女を如何に説得して監督降板してもらうか考えてみたが、彼女のこれまでの言動を顧みるに説得するだけ無駄だという結論を得た。 「いや、特に無いという事にしておくよウン」 「なら結構。ハイ、ではギムリから抱負を述べるように」 「それでいいのかギーシュ。というのはさておいて、取り敢えずいきなり突っ込むのはやめて連携をしたい。誰か指示を頼む」 ルイズは少し考えてから答える。 「確かレイナールと一緒のクラスよね? コンビで行動、その都度レイナールが指示という体制でいいかしら」 「まあそれが確実だろうな。了解」 「では次、マルコリヌ」 「情けないぞギーシュ。えーと、立ってるだけじゃダメだからとにかく動こうと思う……。だから、誰か指示してくれると助かる」 んー、とルイズは考え込んで、本人に誰の指示で動きたいか聞いてみる事にした。 「そうだね、最初はギーシュかレイナールに頼もうと思ってたんだ。『ゼロ』のルイズの指示で動くのなんて嫌だって。でも今のキミの服を見ていると何か悪し様に罵りながら指示を」 ルイズは彼に最後まで語らせず、強引に言葉を重ねる。 「レイナール、面倒を掛けるけど指示してあげて」 「……了解。正直気が乗らないけど、多分今の君ほどじゃないだろうし……」 「その通りよ。あと昔『戦場では常に前から攻撃が来るとは限らない』って言われたのを思い出したわ、何でかしら」 「頼むから実行しないでくれよ……。それにしてもヴァリエール家では娘にそんな事まで教育しているのかい?」 「いえ? わたしが小さい頃、親に話をねだった時に聞かされただけなんだけどね」 ルイズは軽く肩をすくめて見せる。 「そういえばヴァリエール公は無類の戦上手と父上から聞いた事があるよ。流石に戦場の機微に通じているんだなあ」 すっかり感心した口調のギーシュに、ルイズは訂正を入れた。 「教えてくれたのは母様なんだけど」 「あまり他人の家庭事情に首を突っ込みたくないんだけど敢えて聞こう。何故母親……?」 「ギーシュ。私の父様はこう言っていたわ。『宮廷でも家庭でも生き長らえるコツはただひとつ。自分より強い相手とは戦わない事だ』って。それを踏まえた上で、答えを聞きたい?」 「答えって何だい? ボクはシツモンなんてシテイナイヨ?」 カクカクと答えるギーシュを見て、ルイズはため息をついた。 「貴方長生きするわきっと。って話が逸れたわね。えと、次はレイナール」 「どうかと思うなギーシュ。そうだね、前回で相手の攻撃範囲は大体判ったから、『ブレイド』の長さを伸ばしてみたいと思う。あとは連携の指示を上手くしないとなあ」 「『ブレイド』は最初から伸ばさず必要な時だけ長くすると効果的かしら。それと、連携については最初から上手くいく訳ないんだから気楽にね」 レイナールは少し感心したように言う。 「結構考えているみたいだね、ヴァリエール。他には何かあるかい?」 「それなりにはあるけど、まずは一戦交えてから、ね。さあ、皆の意気込みは分かったからそろそろ始めましょうか」 「いやいやいやちょっと待って! ぼくは? ぼくの意気込みや抱負は聞かないのかい!?」 慌てて抗議するギーシュ。呼び出してあったワルキューレが同じ素振りをする辺り、芸が細かい。 「仕方ないわね。じゃあ一応聞くけど」 「畜生覚えてろよ……。ワルキューレの武器にバリエーションをつけた。攻撃用に長槍と小盾、防御用には剣と大楯を装備させたんだ。今回は武器のみの変更だけど、いずれワルキューレ本体も用途に合わせて変更していく予定さ」 得意げに語るギーシュにルイズ達は驚きを隠せなかった。 「ちょ、ちょっと待って! ギーシュが至極まともな事を言ってるんだけど!? どどどうしよう、どうしたらいいの!?」 「そんな!! 二股がばれてひたすらおろおろしていたあの姿は擬態だったとでも!?」 「おお……お助けください、始祖よ……!」 「君たち、僕の家が代々軍人を輩出している事を忘れてないか……? 畜生、ホントに覚えてろよ……」 低い声でぶつぶつ呟くギーシュの横で、ワルキューレがその動きを正確にトレースしていた。正に高度な技術の無駄使いである。 しばらくして、一時の驚愕から何とか立ち直ったルイズが監督として改めて檄を飛ばした。 「さ、さあ! 何か有り得ない事が起こった気がするけど多分気のせいだから気にせず行くとするわよ!」 「「「了解!」」」 「畜生! ホンットに覚えてろよ!!」 そんな学生たちを見つめている影があった。 学院長の秘書、ロングビルである。 彼女には、今、深刻な悩みがあった。 それはオールド・オスマンのセクハラの所為でも、コルベールのアプローチとも言えない様なアプローチの所為でも、何か勘違いした男子学生(稀に女学生)からの恋文の所為でもない。 いや、正確にはそれらの事も悩みではあったのだが、深刻ではない。今のところは。 深刻なのは、彼女がとうに捨てた筈の祖国が現在内戦状態になっている事にあった。 内戦自体はどうでもいい。せいぜい互いに殺しあってくれれば重畳というものだ。 問題は、決して表舞台に出ることの出来ない者が身内に居る事である。 内戦でどちらの陣営が勝利したとしても、彼女が見つかればどうなるか、想像するまでもなかった。 出来る事ならば早急に彼の地を離れる必要がある。しかし、彼女と彼女と暮らす孤児暮らす孤児たちを戦火の及ばない場所に移し、生活を安定させるには大金が必要だ。 そして学院長秘書としての俸給では、そんな大金は捻出できない。 (意外とここは住み心地が良かったんだがねぇ) 屋根のある場所で寝泊まりが出来、出てくる食事は豪華で美味い。俸給だって悪い訳ではない。 ある目的の為に就いた秘書という仕事も、それなりに遣り甲斐はあった。 だがロングビルには判っている。自分のこの感情はただの感傷に過ぎない。義妹と同じ年代の子供たちを見た所為だろうか。 あくまで仮の姿である筈の『ミス・ロングビル』が、無意識のうちに定着しつつあったのかもしれないが、それは本来の自分ではなかった。 (そろそろ店仕舞いの準備をしないとねぇ) そう思い、もう一度学生たちの方を見る。 小太りの生徒が足を縺れさせ、青銅の人形に激突していた。見ていた桃色の髪の生徒が何事か怒鳴り、眼鏡の生徒が頭を抱えている。 それは傍から見れば訓練ではなく寸劇の様で、相手をしていた気のいい(とロングビルは判断した)使い魔も苦笑しているのが判った。 その光景は、もしかしたら自分が世の中の事を何一つ知らなかった頃に過ごしていたかもしれない光景。 その光景は、もしかしたら隠れ住んでいる義妹が過ごせる筈だったかもしれない光景。 やはり寸劇のように見える訓練から目を逸らし、ロングビルは思う。 意外とここは住み心地が良かった、と。 やがて彼女は感傷を振り払い、中庭ではなく本塔を見つめる。 その眼は、獲物を狙う猛禽類のものだった。 「どうしたの、クロコダイン?」 訓練が一段落し、ギーシュ達が地面にへたり込む中、1人元気な監督が己の使い魔に声を掛けた。 「いや、さっき誰かの視線の様なものを感じてな、気配を探ろうとしたんだが……」 そう言って周囲を見回す。 「気のせいだったか……?」 他人の視線など露ほども感じなかったルイズは「そうなんじゃない?」と気楽に答える。 「まあ、それにしても、だ」 地べたで荒い息をつく4人に、クロコダインは感想を述べた。 「接近戦を担当する人間が多すぎるだろう。ギーシュの人形や接近戦を学びたいレイナールはともかく、他の2人は後ろから魔法を使ってもいいんだぞ」 「ちょっと待って! いくら相手がドットメイジでも魔法が直撃したら怪我どころじゃ済まないわよ!?」 思わず声を上げるルイズに、クロコダインは笑って答える。 「オレはここの魔法については素人だが、魔法で敵の動きを鈍らせたり目晦ましをしたりする事は出来ないのか?」 その言葉に、ルイズ達は車座になって話し始めた。 「どうだろう、つまり攻撃魔法じゃなくて、支援としての魔法という事かい? 授業ではそんなの習ってないと思ったけど」 「でも工夫次第でなんとかなりそうじゃないか? 土の系統魔法なら地面を錬金する事で足止めとか出来そうだ」 「相手の目の前で『着火』を使えば目晦ましになるのかしら……」 「風魔法で土煙を上げるとかでもいいんじゃないかな」 今まで考えた事が無かった魔法の使い道だけに、彼女らの会話も盛り上がる。 「戦う時に自分の有利な条件を多く作る事が出来れば生き残る確率はそれだけ高くなるだろう。逃げを打つ時も同様だ」 どすん、と座り込み胡坐をかくクロコダインに、ルイズは少し怒ったように言った。 「貴族は敵に背を見せないものよ、逃げるなんて以ての外だわ」 対して、クロコダインは窘めるように答える。 「それはそれで立派な考えだが時と場合によるだろう。例えばどうしても果たさねばならない目的がある場合、余計な戦闘を避け撤退するのも一つの道だ」 「むー……、それはそうだろうけど……」 些か納得のいかない主に、使い魔は笑顔を見せた。 「誇りを重んじる気持ちはオレにもよく分かるが、無理をして無謀な攻撃をしても良い結果は得られんぞ。命あっての物種とも言うしな」 「……」 理性では一理あると判断しても、感情がそれを許さない様子のルイズの顔を覗き込む。 「何も敵を前にして無条件で逃げろと言ってる訳じゃない。引けない戦いという物も確かに存在するしな。だが、何事にも柔軟な発想で臨んでほしいという事だ」 クロコダインはそう言うと、ルイズを肩に乗せ立ち上がった。 「きゃ!」 「今日はもうお開きにしよう。ルイズは寮の入口まで送っていこうか」 「え、でも、別に大丈夫よ」 ギーシュ達の手前もあり、赤面する顔を見られたくなくてそんな事を言うルイズだったが、 「そうもいかん。主をただ見送るだけではシエスタあたりに怒られそうだからな」 そう言われては断る事も出来ない。 怒った時のシエスタは妙な迫力があって怖いのをルイズは知っていた。酔った時はもっと怖い事も。 取り敢えず久し振りにクロコダインの肩に乗るのも悪くないと言い聞かせてみる。誰に言い聞かせているのか。自分にだ。 「も、もう、仕方ないわね! 送るからにはちゃんとエスコートしなきゃ駄目なんだからね!」 使い魔である獣人に無理を吹っ掛けるその態度は、どう見ても典型的な照れ隠しだよなあとギーシュ達は思った。 前ページ次ページ虚無と獣王
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17 淑女と獣王 前ページ次ページ虚無と獣王 唯一杖を持っていたギーシュによって拘束されたフーケは、憎々しげにクロコダインを睨みつけた。 「よくもまあ嘘を吐いてくれたもんだね! 何が『主の安全がかかってるのに嘘は言わん』だい!」 「心外だな。オレは嘘など吐いてはいないぞ」 全く怯む様子もなく言葉を返すクロコダインに、フーケはさらに言い募る。 「じゃあ何であんたはあの筒の中に封じ込められなかったのさ!?」 「ちゃんと言った筈だぞ。『筒には一体のモンスターを封じ込める効果がある』と。逆に言えば『一体しか封じられない』訳だ」 その言葉の意味に気付いたのはルイズだった。 「つまり、その『魔法の筒』の中にはもう何かが入ってるって事、よね?」 クロコダインは笑みを浮かべルイズに向き直る。 「そう言う事だ。そして中のモンスターを外に出す時の合言葉は『イルイル』じゃない」 「じゃあなんでそれを教えない!?」 「言おうとしたんだが、『そこまで聞けば充分』と言われてしまったのでな」 笑みを苦笑に変えるクロコダインに、フーケはぐうの音も出なかった。 「そもそもオスマン老はこの筒に『神隠しの杖』などという名前を付けているんだ。その意味をもう少し考えるべきだったな」 「……?」 首を捻る一同だったが、今度はキュルケが一番に気がついた。 「ああ! オールド・オスマンはこの杖の効果を知ってるのね!? だから『神隠しの杖』なんて名前を付けたんだわ!」 「いや、でも学院長はこの筒の使い方は知らないんじゃなかったか?」 ギムリのそんな疑問に答えたのはレイナールである。 「──使用方法が判らないのと効果を知っているのは話が別だよ。多分、学院長は誰かが使っているのを目撃したんじゃないかな」 「その筒はオスマン老の恩人の遺品。確かそう言っていた筈」 レイナールの説をタバサが無表情に補足した。 「まあそう言う事だ。嘘は吐いていないだろう?」 クロコダインはそう言って肩をすくめてみせた。 それにしても、とタバサは思う。 これまでのクロコダインの印象は「強い戦士」というものだったが、これからは「意外と切れ者」と付け加えなければならないと。 実際会話の流れに助けられた部分もあるのだろうが、本当に肝心な情報は一切フーケには伝わっていなかったのである。 さっきまでの補足話も落ち着いているからこそ推測できる物で、あの緊迫した状況下でそんな事が考えられる筈もない。 (興味深い) この謎の多い使い魔を観察する必要がある。そんな事を考えながら、タバサはいつものポーカーフェイスを貫いていた。 「さて、こちらからも質問がある」 今度は逆にクロコダインがフーケに問うた。 「宝物庫から盗み出された物は2つ。『伝説の剣』は一体どこに隠した?」 魔法の筒を回収した事ですっかり安心していたルイズたちは、「あ、そー言えば」という顔を隠そうともしなかった。 「……ああ! すっかり忘れてたわ」 盗んだフーケからしてこの有様である。 「いや、あのインテリジェンス・ソードあんまり煩いもんだから、腹いせに小屋の近くに埋め込んだのよ」 鬼の所業であった。 「小屋の近くって……」「ひょっとしてゴーレムの材料になってないか……?」 フーケが作ったのは30メイルもの大きさのゴーレムである。当然の事ながら作るには大量の土が必要となる。 しばらくの間を置いて、フーケは心配げな顔の一同に告げた。 「さっきの攻撃で壊れてない事を祈るわ」 これっぽっちも心のこもっていない口調のフーケを尻目に、慌ててレイナールが広場へと赴きゴーレムだった土の山に向けてディテクト・マジックをかける。 反応のあった個所をクロコダインが掘ったところ、案の定と言うべきか鞘に入ったままの大振りの剣が見つかった。 剣を抜くとオスマンに聞いた通りの錆びついた刀身が現れる。 「……かれこれ6000年ばかり剣をやってきたけど、こんなひどい目みるのはじめて……」 いきなり愚痴る剣に、なんとコメントしようか思わず考え込むクロコダインだったが、結局いい言葉は思いつかずそのまま鞘へと納めることにした。 「……あれ? ちょっと待てオメ使い」 剣は何か言い掛けたようだったが鞘に収めると黙り込んだ為、まあいいかと思ったと後にクロコダインは語っている。 投げ捨てた杖を回収し、フーケをスリープ・クラウドで眠らせた上で一同は学院へと戻った。 フーケは衛兵に引き渡され、ルイズたちはその足で宝物庫へと向かう。 「うむ、確かに『神隠しの杖』と『伝説の剣』じゃ」 捜索に出てからの出来事を聞き終えた後、オールド・オスマンは真剣な眼で取り返された秘宝を確認した。 使命を果たし安堵のため息をつくルイズだったが、その耳にオスマンの独語が飛び込んでくる。 「それにしてもまさかミス・ロングビルが『土くれ』だったとはの……」 「そういえば、どうしてフーケは学院長の秘書という重要な役職に就けたんですか? 確か学院に勤める者は身分証明と誰かの紹介状が無いと駄目でしたよね?」 そんな疑問を投げ込んだのはレイナールである。 確かに国内の貴族の子弟を預かる以上、学院に勤めようとする者には教師からメイドに至るまで上記の2つが必要となる。 例えばシエスタの場合、タルブ村長からの身分証明と、結婚を機にメイドをやめる事になったタルブ出身の娘からの紹介状があって、初めて学院付きのメイドとなる事が出来た訳だ。 レイナールには宮廷に親戚がいるので、おそらくはそのあたりからこれらの事情を知っていたのだろう。 「うむ、それには深い訳があっての」 オールド・オスマンは重々しい口調で、とある酒場にてフーケをナンパしたあげく特例で秘書へと任命したという事実を披露し、結果として学生たちに白い目で見られたのだった。 「え? ちょっと何その汚物を見るような視線! だって尻とか触っても文句言わないんじゃぞ!? こりゃ私に惚れとるとか普通思うじゃろーが!」 ルイズ、キュルケ、タバサの3人ははっきりと「死ねばいいのに」という顔になり、男子生徒の中の幾人かは「流石は学院長だ」と感心しきりの様子だ。 そして微妙に自分に対する尊敬の念とかが危うくなったのを感じたオスマンは、すかさず話題を変える事にした。 フーケの件で登城する際、捜索に出た生徒全員にシュヴァリエの申請をするつもりがあることを伝えたのである。 「ホントですか!」 キュルケやギーシュたちは歓声を上げた。 シュヴァリエは武勲を挙げた貴族に与えられるもので、軍人ならばいざ知らずそれ以外の、ましてや学生が簡単に得られるものではない。彼らが喜ぶのは当然だと言えるだろう。 だが、そんな中で表情の優れない者がいる事にオールド・オスマンは気付いていた。 タバサはいつもの様に無表情だが、これは既にシュヴァリエであるからだ。勿論彼女には違う勲章を申請する予定である。 問題は、ルイズが浮かない顔をしている事にあった。 「どうしたのかね、ミス・ヴァリエール」 オスマンの問いに、ルイズは硬い声で答える。 「学院長、わたしは申請のメンバーから外して貰えないでしょうか」 皆が一様に驚きの表情を見せる中、オスマンは優しく問い直した。 「何故、と聞いてもいいかね?」 「わたしはフーケの捕獲に関しなにも貢献できませんでした。それだけならばまだしも、不注意から人質となり同行した者たちを危険に晒しています」 故にシュヴァリエにはなれないと、この生真面目な少女は答える。 「おバカねえ、ルイズ」 ふいに後ろからキュルケがルイズの頭の上にのしかかった。 ボリュームのある双丘がやんわりと形を変え、オスマンを始めとする男衆が生唾を飲み込む。 変なところで潔癖症よねこのコ、と思いつつ胸の下で「誰がおバカか!」と暴れる同級生にキュルケは言った。 「いい? そもそもあたしたちはフーケの捜索になんか行くつもりはなかったのよ? どこかの誰かが立候補しなければ、ね。そのあんたが辞退したらこっちの立場が無いじゃないの」 ギーシュたちがうんうんと頷く。目は2つの桃りんごに吸い寄せられていたけれども。 「まあ確かに人質にはなってたけど、その分クロコダインが大活躍してたんだから問題なしって事で」 「それはクロコダインの手柄でしょ! だったらクロコダインをシュバリエにして貰わなきゃ駄目じゃない!」 あくまで自分にはシュヴァリエたる資格はないと言い張るルイズに、オスマンは好感を持った。 「主と使い魔は一心同体と言うしの、使い魔の武勲は即ち主の武勲じゃろうて」 苦笑と共に言った台詞を、今まで沈黙を守っていたクロコダインが引き継いだ。 「オレには地位も勲章も必要の無いものだからな、ルイズが貰っておいてくれ。そもそもオレがそんなものを貰えるなら、シルフィードやフレイムにも渡さなければならなくなるぞ?」 当の使い間にそんな事を言われてしまっては返す言葉もない。確かに使い魔(つまりは人間以外の者)に騎士叙勲をするというのもおかしな話ではあった。 まあ、ルイズも他の学生たちもいつの間にかクロコダインが人間であるような感覚を持っていたので、本人に言われるまで特に違和感は抱いていなかったのだが。 「しかしミス・ヴァリエールの言い分にも一理はある。使い魔殿には私から何か贈ろうと思うが、何か希望はあるかね? 嫁さんとか言われると困るがの」 クロコダインは太い笑みと共に答えた。 「では、後で美味い酒でも持ってきてもらおうか」 「秘蔵の銘酒を届けさせよう」 オスマンも、また笑顔で答えた。 「おや、まだこちらにいたのですか」 控えめなノックの後、姿を現したのは教師コルベールであった。 「今夜はフリッグの舞踏会ですぞ。女性陣は早く支度をした方が」 「あ──────ッ!」 コルベールが言い終える前にルイズとキュルケが悲鳴じみた声を上げる。 「ちょっと待って待ってあれって今日だった!?」 「うわすっかりバッチリ忘れてたわ今何時ー!」 慌てふためく2人を前に、女性陣の中に入っている筈のタバサの反応は実に薄いものだった。 彼女にとって髪型やドレス、アクセサリーはさほど重要なものではなく、ちゃんとした服装を着て遅刻する事無く腹一杯ご馳走を食べられればそれでいいのだから当然であるとは言える。 「まずいよ早く、早く急いで準備しないと間に合わない!」 代わりに、という訳ではないのだろうがギーシュの方が余程慌てふためいていた。言い回しすらおかしくなっている。 「私からの話は以上じゃ。今夜は楽しむといい」 その言葉を聞いて退出しようとする一同に、オスマンは再び声を掛けた。 「あー、スマンがミス・ヴァリエールと使い魔殿には少し残って貰えんかの。なに、時間は取らせん」 微妙にえー、という顔をするルイズだったが、 「ちょうど良かった。オレも幾つか聞きたい事がある」 とクロコダインが答えた為、その場に残る事となった。 「さて、先ずそちらの聞きたい事とは何かの?」 「『神隠しの杖』に関しての事だ。あれは昔オレが使っていた『魔法の筒』と同じモノだが、どうしてここにあるのかが知りたい」 クロコダインの問いに、ふむとオスマンは考え込む素振りを見せた。 「昔同じモノを、という事はミス・ヴァリエールに召喚される以前という意味ですか!?」 オスマンの後ろに控えていたコルベールが口を挟む。宝物庫に残っている人間はクロコダインが異なる世界から来ている事を知っている者達でもあった。 「アレは私の命の恩人が遺したモノというのは既に言ってあったの」 頷くクロコダインに、オスマンは語り始めた。 20年ほど前、採集の為に森の奥深くへ入った時、翼長20メイルはあるワイバーンに襲われた事。 杖を飛ばされ、あわやという時に突然男が現れ、持っていた筒をワイバーンに向けると次の瞬間怪物の姿が消えてしまっていた事。 男は現れた時には既に重傷を負っており、急いで学院へ連れて行き介抱したがその甲斐もなく亡くなってしまった事。 男が持っていた刃の欠けた槍は墓標代わりにし、筒は『神隠しの杖』と名付け宝物庫へ保管した事。 一通り話し終えたオスマンは、クロコダインを見上げて言った。 「あの男も一風変わった容姿をしていたからの、ひょっとしたらお主と同じ世界から来たのかもしれん」 「変わった容姿というと、人間ではなかったのですか?」 一緒に話を聞いていたルイズが疑問の声を上げる。 「いや、基本的に人間と同じ体なんじゃがの、肌の色が紫がかっておってなぁ」 オスマンは昔を思い出ししているのか、どこか遠い眼をしていた。 「耳も人より大きかった。いや、エルフの様に尖っているのではなく、こう、幅が広いという感じで」 語るより見せた方が早い、とばかりにオスマンは懐から銅貨を取り出し小さなゴーレムに作り変えた。 そのゴーレムを見たクロコダインは驚きを隠せなかった。 「ラーハルト!?」 「知ってるの?」 主の問いに答える事も出来ず、クロコダインはゴーレムを凝視する。 だが、よく見るとかつての仲間とは少々容姿が異なっていた。 ともすれば細身に見えるラーハルトに比べ体つきはがっしりしており、顔もどことなく厳つい感じがする。 最初は自分と同じようにラーハルトも召喚されたのかと思ったが、考えてみれば謎の男がオスマンを助けたのは20年も前の話であるし、自分が覚えている限り、 かの槍騎士は魔法の筒を装備してはいなかった。 だが、身体的特徴からこの男が魔族(もしくはその血を引くモノ)であることは確かだ。 「いや、仲間に似ていたんでな。なんにせよこの男はおそらく、オレと同じ世界にいたのだとは思う」 魔族の説明をすると長くなる為、クロコダインはそう言うに留めた。 「この人もクロコダインみたいに誰かに召喚されたんですか?」 ルイズの質問にオスマンは首を振った。 「それは私にも判らなかった。近くには誰もおらなんだし、彼もうわごとで「帰りたい」としか言ってはくれなんだしの」 「そうですか……」 クロコダインを元いた世界に帰すと誓ったルイズだったが、その手がかりは全く掴めていない。 オスマンの命の恩人がこの世界に流れ着いた理由が判れば何かのヒントになるかと思ったが、そう上手くはいかないようだった。 「しかしあの男とお主が同郷とは思わなかった。これも何かの縁じゃ、その筒は使い魔殿が持っていてくれ」 オスマンはそう言ってこの話を切り上げた。 「ではそちらの用件を聞こうか」 クロコダインの言葉にオスマンとコルベールは表情を改めた。 「お聞きしたいのは貴方の左手に刻まれたルーンの事です」 「ミス・ヴァリエールの使い魔になった後で、何か身体的な変化などはなかったかの?」 2人の問いにルイズは怪訝な顔をした。 コントラクト・サーヴァントの影響で使い魔は知能が上がり、犬や猫などの人間の身近にいる動物は人語を話すようになる事はよく知られている。 今更そんな事を2人が確認するとは思えない。 一方、クロコダインには何か思い当たる節があるようだった。 「ギーシュたちと体を動かしている時も感じていたんだが、今日はっきりと自覚した事がある。あのゴーレムとの戦いで体が普段よりも明らかに軽くなっていた。 戦闘補助呪文を掛けられた訳でもないのにな」 「ほう」 「それに武器の使い方とでもいうのかな、これまで思いつきもしなかった扱い方が自然と流れ込んできた」 2人の教師は顔を見合わせた。 「学院長もコルベール先生も、一体何を気にしてるんですか」 状況が掴めないルイズが声を上げると、コルベールは意を決したように答えた。 「彼に刻まれたルーンが珍しいものだったのでね、調べた所それと同一のモノが過去にある事が判ったんだ」 一旦言葉を切って、コルベールは静かに言った。 「彼はガンダールヴだ」 「ガンダールヴ?」 怪訝そうな顔をするクロコダインとは逆に、ルイズはその名に聞き覚えがあった。 そう、学院に入学して初めてのトリステイン史の授業において、始祖の功績を学んだ時にその名を聞いたのだ。 神の左手。あらゆる武器を使いこなし始祖を守り抜いた伝説の使い魔。左手に大剣、右手に長槍を持つ天下無双の神の盾。 ルイズはこう見えて、歴代の学院生の中でも座学だけならトップクラスの秀才である。普通の生徒なら聞き流していたかもしれない事をしっかり覚えていた。 「ちょ、ちょっと待って下さい!」 ルイズは慌てて問い質した。 「なななんで神の盾のルーンがクロコダインに刻まれちゃったんですか!」 「落ち着きたまえ、まだ確定したわけじゃない」 コルベールはそう言ったが、先程のクロコダインの言葉が説得力を打ち消していた。 契約の効果で武器の上手な使い方が流れ込んだり、戦闘能力が突然上がったりする話など聞いた事もない。 そしてこれらは、ガンダールヴになったからと仮定するとひどく納得のいく効果なのであった。 「ふむ、少し試してみるとしようかの」 オスマンはそう言って、傍らの『伝説の剣』を手に取った。 「これは以前ある武器商から譲り受けたものでな、なんでも6000年前に作られたと言われておる」 「この剣が、ですか? 誰がそんな事言ってるんです」 それこそ始祖が生きていた頃に作られたなどという話を、ルイズは信じる気にはなれなかった。 「剣本人がそう言っておるのさ」 オスマンは150サント余りの長剣を苦労して引き抜いた。その途端、鎬の金具を震わせながら『伝説の剣』が喋り始める。 「幾ら強そうで『使い手』だからって話してる最中に鞘に入れるなよっててめ、俺をこんなトコに押し込めやがったジジイじゃねぇか!」 わめく剣と対面したルイズは、フーケが地面の中に埋め込んだ時の気分を完全に理解した。 一方オスマンは剣に冷静なツッコみを入れる。 「自分で『伝説だぜ俺』とか言うとったじゃないか。確かに大層な魔法が掛かっておるようじゃしの」 当然の事ながらディテクト・マジックを掛けた上での発言である。 「俺は剣だっつの、斬ってなんぼの商売なのに倉庫に入れっぱなしたぁどういう了見だよ!」 憤る剣をさらりと無視してオスマンはクロコダインに話しかけた。 「どうじゃな、こいつを持っても上手な使い方とかは流こんでくるかの」 ルイズの背程もある大剣だがクロコダインが持つとやや小振りに見えてしまう。本来なら両手持ちの筈だが、彼の場合片手でも微妙に持ちにくそうだった。 「──ああ、オレは剣は得手じゃないが、どう振れば効果的かが判る」 目を閉じ、体内の気を高めながらルーンの効果を確認するクロコダインに剣が語りかける。 「おお! おめ、やっぱ『使い手』か! いやあ、人間以外の相棒なんて……あれ? 前にもあったような」 「ねえボロ剣、さっきから気になっていたんだけど、その『使い手』って一体何なのよ」 剣の言っている事が今一つ判らない面々を代表してのルイズの問いに剣は声を荒げた。 「誰がボロ剣だ! 俺にはデルフリンガーって立派な名前があらあ! 大体最近の奴は『使い手』の事も知らねぇのか、いいか『使い手』ってのは……なんだったっけ」 ルイズは静かな表情で言った。 「学院長。こいつ埋めて下さい」 「いや、そう短絡的にものを考えてはいかんぞ。まあどうせ賭けチェスのカタに武器屋の親父からせしめたモンじゃし、別に埋めても惜しくはないがの」 教育者らしい口調でオスマンが答える。その内容は酷いものだったが。 「ひでえだろその扱いは。なあ、俺を使ってくれねぇか相棒、色々役に立つぜ?」 クロコダインは黙って壁に立て掛けてある愛用の大戦斧を見つめた。 「い、いや待って、あれも確かに業物なんだろうが、ホラ! 狭い所だと使いにくいだろ? その点俺なら」 クロコダインは黙って腰に下げたギーシュ謹製の手斧を軽く叩いた。 「い、いや、まあ待ってくれよ、言っちゃなんだがそれ青銅製だろ? あんま武器としちゃ」 オスマンとコルベールがすかさず『固定化』の魔法をかける。火のトライアングルと土のスクエアの魔法は、ブロンズの斧を必要以上に固くした。 「なあ、これイジメ? 俺、泣いていい?」 結局、クロコダインは取り敢えず話し相手として剣改めデルフリンガーを預かる事にし、主から「お人よしが過ぎる」という評価を得ることになった。 話が終了し、退出する2人を見送ってからオスマンとコルベールは深々とため息をついた。 「流石にミス・ヴァリエールも気付かなかったようですな」 「いくら何でもそれは無理じゃ、そもそもこちらとて信より疑の方が多いからの」 実は一年前、ルイズが新入生としてやってくる時にオスマンは彼女の父親であるヴァリエール公爵から秘密裡に依頼されたことがある。 『もし出来ることならば、娘が魔法を失敗する理由を調べて欲しい。但し調べている事をルイズには知らせる必要はなく、また娘を特別扱いにする必要もない』 それから現在まで、オスマンは密かにルイズの言動に目を配っていた。 魔法成功率0%。 系統魔法を唱えれば呪文も魔力の込め方も正しいのに何故か爆発を引き起こす。 しかしその爆発は、火の魔法のエキスパートであるコルベールが再現できないものでもあった。 爆発という現象を引き起こすには少なくとも「火」と「土」のスペルを掛け合わせる必要があるにも関わらず、ルイズはドットスペルで トライアングル相当の威力を叩き出す事がしばしば見られたのだ。 何故こんな事が起きるのか。 ともすれば魔法偏重主義と揶揄されるトリステインにおいて、魔法学院の教師となるにはそれ相応の知識と技術が必須となる。 そのエリートたちが、ルイズの失敗魔法について説明も再現も出来ないのだ。 全く持って非常識と言わざるを得ない。 ヴァリエール公爵が悩み、オールド・オスマンが頭を抱えたのも無理は無いと言えるだろう。 だが、ここに来て事態が変わった。あの使い魔が『始祖の左腕』ガンダールヴだとしたら、その主人の系統は? オスマンもコルベールもそれを思いついた時はまさかと思い、しかしその可能性を否定する事は出来なかった。 「で、どうされるおつもりですか?」 コルベールの問いに、オスマンは首を振って答えた。 「どうもこうも、現状を維持するしかなかろう。元々確証がある訳じゃなし、うっかり王宮になど知られたらエライ事になるわ」 ただでさえ隣国では内乱が勃発している不穏な時期に、そんな事を報告しても碌な事になるまいと呟く。 「まあヴァリエール公爵には私からそれとなく伝えておこう。どうせフーケの件で城までいかねばならんからの」 実に嫌そうな顔をするオスマンに、コルベールは同情を禁じ得ない様子だった。 オスマンの王宮嫌いは今に始まった事ではない。 「彼女らの前では言えなんだが、君もよくやってくれたな。ヴォルテール君」 「コルベールです。どう間違えたらそうなりますか」 「冗談じゃ、マジになるでない。まあ舞踏会まで間がある。少し休みたまえ」 そう言ってオスマンは、自分の『頼み事』を無事果たしてくれた男を労うように肩を叩いた。 『フリッグの舞踏会』は本来、新入生を歓迎するという意味合いを持っている。 これまで多かれ少なかれ従者に世話をして貰っていた貴族の子女が全寮制の学校に来るのだから、当然新入生たちは緊張している。少しでもリラックスさせる為の舞踏会という訳だ。 また魔法学院は、貴族が貴族らしく振る舞う事が出来る為の学習の場でもある。 要は卒業後、王宮主催のパーティーに招かれた際などに恥をかいたりしないように学院側が配慮し、こうした機会を作る事で場慣れさせておく授業の一環でもあった。 だが今年は、例年とはいささか事情が異なっていた。 通常主役を求めない筈のこの会に、特別に紹介された者たちがいる。 「土くれのフーケ」が学院に盗みに入ったのは既に学生たちの間にも知れ渡っていたが、その怪盗を捕らえた者たちとして7名の学生が学院長の口から発表されたのだ。 そして今、その7名のうちの一人が多くの者に囲まれながら得意げに独演会を開いている。 「そこで僕はワルキューレを作ってゴーレムに立ち向かったのさ。 確かに敵は強大だったけれど、このギーシュ・ド・グラモンの勇気と誇りはそんな簡単に折れるモノではないと言うことをかの怪盗に教示しなければならなかったからね!」 その様子を少し離れた場所で眺めているのはギーシュらと一緒に紹介されたレイナールである。 彼の周りには上級生やクラスメイトなどが集まり、口々にギーシュの言ってる事が正しいのか確認していた。 「で、あれはどうだ」 「立ち向かっていったのはヴァリエールの使い魔、クロコダインだけですよ。おかげで僕たちはその間フーケを捜す事に専念できたんです」 上級生のベリッソンにそう答えると、相手は微妙な表情になった。 先日の食堂での一喝がまだ堪えているらしい。そういえばあの時ツェルプストーの盾に成り下がっていたなこの人、と要らない事を思い出した。 「じゃあ杖を投げ捨てる振りして油断させ、フーケを捕らえたって言うのもウソなの?」 「いや、それは本当だよ。フーケの捜索中に野薔薇を手折っていたから、杖を捨てろと言われた時、代わりにそれを投げていたんだ」 隣のクラスの女生徒の質問に補足を入れつつ答える。 その間にも独演会は続いており、丁度フーケを燻りだす算段を立てる所に差し掛かっていた。 「この僕の発案で、風竜を使って怪盗を見つけ出すことにしたのさ。そもそも木の上に隠れているのは容易く想像できる事だったしね!」 それは初耳だなあ、とレイナールは完全に部外者のノリである。 実はギーシュの独演会は、これで5回目となる。 彼の名誉の為に言っておくと、最初からこんな調子だった訳ではない。ちゃんと自分のした事と仲間のした事の区別はつけていた。 しかし、ギーシュの近くに集まる女生徒が増え、そして彼女らの賛辞が増え、更に薦められるワインの量が増えるに従って話が大きくなっていったのである。 因みに去年は壁の花であったマリコルヌとギムリも今日ばかりはモテまくっており、有頂天になっているのが手に取るように判った。 『春……! 季節も春だけど人生の春……!!』 心の声がここまで聞こえてきそうな勢いである。 勿論レイナールにもダンスの相手には困らない状態だったが、小休憩を取っていたらいつの間にか質疑応答と解説の時間になってしまっていただけの話だ。 なんだかなあと思いつつ、レイナールはワインを飲みほした。 一方、本当の捜索隊である女子3人はどうなっていたか。 キュルケは何時もの様に取り巻きが門前市を為す状態である。 真紅の髪に燃えるような赤いドレスの彼女は、今日の主役という事を差し引いても充分に華やかであった。 タバサは黒のパーティードレスに身を包み料理とタイマン勝負をしている。 子供の様な体型と無口な性分から彼女は男子に余り人気が無く、極一部の特殊な趣味を持つ者もいたが彼らは総じて話しかける勇気を持っていなかったので、誰にも邪魔される事無くハシバミ草を食べまくっていた。 そしてルイズは、近寄って来る男たちをうんざりしながら捌いている。 白のドレスにピーチブロンドの髪が映え、立ち振る舞いも上品の一言に尽きる淑女に驚いた男子生徒が今日の武勲との相乗効果もあり殺到したのだが、ルイズは失礼にならないようにしながらも頑なにダンスの誘いに応じはしなかった。 大体昨日まで『ゼロ』だなんだと馬鹿にしていた連中に褒められても嬉しくない。大貴族の意地で超特大の猫を被っているので周囲には全く気づかれてはいないのだが。 少年たちの賛辞の声に応じながら、その瞳はここにいる訳もない誰かを探しているようにも見えた。 「こんな所に居たのですか」 同時刻、ヴェストリの広場。 その片隅に使い魔たちが集まっている。輪の中心にいるクロコダインに、やって来たコルベールが話し掛ける。 「そちらこそ宴はどうしたんだ? 教師が場を離れてはいかんだろう」 そう言って笑うクロコダインの前にはたくさんの料理があった。 先程忙しい仕事の合間を縫ってシエスタらが持ってきてくれたのだ。マルトーからの指示だというそれらは貴族に出す料理と同じものだった。 シルフィードは大きな肉の塊を至福の表情で飲み込んでおり、フレイムも尾をパタパタと振って喜んでいる。尻尾には火が灯っているので迂闊には近寄れない状態だ。 その他のジャイアント・モールやフクロウ、カエルやスキュラらもそれぞれ自分の好物に手を出していた。 「ああいう華やかな場所はどうにも苦手でして」 苦笑と共にコルベールは『浮遊』の呪文で運んできた3つのガラス瓶を差し出す。篝火にルビーの様な赤がうっすらと透けた。 「学院長に頼まれましてな、約束の美味い酒だそうですぞ」 それはオスマンがまだ若い頃に樽ごと手に入れた銘酒を瓶に移し替えて今日まで保管していたという、文字通り秘蔵の一品だった。 「それはまた随分と早く約束を守ってくれたものだ。後で礼を言わなければな」 クロコダインは遠慮なく瓶を受け取り、傍に置く。 「そうだ、コルベールにもまだ礼を言っていなかったな。ありがとう、昼間は助かった」 コルベールは目を丸くした。 「一体、何の事です?」 「フーケにルイズが捕まった時、背後から『気』を放って動きを止めてくれただろう? ありがとう。アレのお陰でルイズは怪我をせずに済んだ」 クロコダインが頭を下げると、コルベールは慌てて言い繕う。 「いや、何か勘違いをされていませんか? 私はずっと学園におりましたが」 「そういう事にしておきたいのなら、確かにそうなんだろう。じゃあここからはオレの想像だ」 一旦言葉を切って、クロコダインは続ける。 「そもそもオスマン老が捜索隊を募った時から不思議に思っていた。何故お前が名乗り出ないのかと、な」 コルベールは黙して語らない。 「オレがルイズに召喚されたあの日、お前はルイズや他の生徒を庇うような位置に立っていた。仮に攻撃を試みても直ぐに阻止されただろうな。それに普段の体捌きを見ていても、 何らかの心得があるのは一目瞭然だったよ」 日頃の鍛錬を怠っていない証拠だなと付け加え、手近にあった肉をシルフィードに向かって投げる。器用に首をくねらせて風竜は空中でキャッチした。 「それにオスマン老も、素人に近い生徒たちを何の考えもなしに危険な任務を押し付けるとは考えにくい。腕の立つ教師に自分の使い魔をつけて一部始終を見守り、 いざという時にはフォローできる体制を整えていたとしてもおかしくは無いだろう」 話を聞きながらコルベールは無表情を保っていたが、内心では密かに舌を巻いていた。 確かにオスマンは自らの使い魔・モートソグニルを彼に託し、感覚同調で一部始終を観察している。更に宝物庫に保管されていた『眠りの鐘』を、学院長特権でコルベールに 貸し出してもいたのだから。 「さっきも言ったが、これはあくまでオレの想像に過ぎん。証拠などない話だしな。ただ、礼を言っておきたかったのさ。オレの主を助けてくれた礼を」 2度も礼を言われたコルベールからは無表情という名の仮面が剥がれ、ひどく複雑そうな顔になっている。 自分は罪から逃げた卑怯者だという考えがこれまで彼の脳裏から離れた事は無く、また今回の事もただ生徒たちが心配なのは確かだったが、クロコダインとルイズの力を 把握するという目的もあった。 少なくとも、礼を言われるような立場ではない。 「……私はただの臆病者に過ぎません。それより、礼を言わなければならないのはむしろこちらでしょう」 だからコルベールは、心からの感謝を込めてクロコダインに頭を下げた。 「ありがとう。私の生徒たちを守ってくれて」 しばらく話した後、コルベールはホールへと戻っていった。 流石に長時間席を離れているのは難しいらしい。 その姿を見送ってコップ(人間が持てばジョッキサイズ)に手酌でワインを注ごうとした時、再び誰かがこちらにやってくる気配がした。 「ああ、もう! 捜しちゃったじゃない!」 憤懣やるかたないといった顔で現れたのはルイズである。 あちこち見て回ったのか少し息を切らしていたが、それでもパールホワイトのドレスに身を包んだ少女は美しく、双月の光に照らされたその姿は幻想的ですらあった。 「いったいどうしたんだ? 主役が不在ではいくらなんでもまずいだろう」 「相棒の言う通りだ。早く戻った方がいいぜ、娘っ子」 軽口を飛ばすデルフリンガーをキッと睨みつけて黙らせ、ルイズはクロコダインに向き直る。 「私の事はどうでもいいの! それより何でクロコダインはこんなところにいるのよ」 クロコダインは笑って答えた。 「なんでもなにも、オレのような怪物が人間に混じって宴に出る訳にもいかんだろう?」 「そんな事、ない!」 ルイズは、そんな使い魔の言葉を真っ向から否定した。 「そんな事ないわよ! 私が主役だっていうならクロコダインだって充分主役の資格があるわ! 大体なんなのよ怪物って!」 顔を真っ赤にして、手を振り回し、優雅さも気品もかなぐり捨てたかのように、ルイズは懸命に言い募る。 「そりゃ確かに貴方は人間じゃないわ。立場としては私の使い魔だし、舞踏会に出るのはおかしいかもしれない。だけど……」 ぎゅっと拳を握り、俯いたままで、瞳に溢れる何かを堪えながら、ルイズは必死になって訴える。 「だからって、自分の事を怪物だなんて言わないで……」 ルイズは無性に悲しかった。何故かは分からないが、笑っている筈のクロコダインが、彼女にはひどく悲しいものに思えたのだ。 一方クロコダインは、泣き出す一歩手前といった風情の主を前に、心の底から困っていた。 数え切れぬ程の戦いを経て星の数程の死地を掻い潜り、人間の素晴らしさに目覚めた彼であったがこんな時どうすればいいのか全く見当がつかない。 コルベールがいた時は何かと茶々を入れてきたデルフリンガーもこの時ばかりは押し黙っている。 そんな2人の元へ、場違いな位に明るい声の救世主が襲来した。 「もー、ダメじゃないクロコダイン、幾ら小さくてもレディを泣かすのは犯罪よ?」 当然というべきか、ほんのりと頬を赤くしたキュルケがその声の主だった。 その後ろでこくこくと頷いているのはタバサだ。手にはハシバミ草の入った特大のボウルを抱えており、きゅいきゅいと鳴く風竜に食べさせようとして全力で拒否されていた。 「うむ、全くだ。女性を泣かせるなんて言語道断、始祖が許してもこの僕が許さないね!」 「敢えてツッコむぞ、お前が言うな!」 「流石に二股をかける男は言う事が違うね、月の無い夜には気をつけろよ」 「つまり自分自身が許せないという訳か、大変よく分かったとも」 更に、泥酔寸前でふらふらしている割に口は達者なギーシュと、それを支えつつ割と千鳥足気味のマルコリヌとギムリ、それなりに飲んでいるのに酔いを表に出していないレイナールが 続けて登場するに至って、デルフリンガーは思わず吹き出していた。 「これで主役が全員舞踏会を抜け出した訳か! おでれーたねどうも!」 「あ、ああ、あんたたちねぇ……」 先程のしおらしさはどこへやら、俯いているのは変わらないがルイズが今身に纏っているのは目に見えぬ怒りのオーラである。 「なななななんだって揃いも揃ってここにいるのよーっ!」 爆発するルイズに皆はしれっと答えた。 「んー、あんたが抜け出すのを偶然見ちゃってさー、てっきり逢い引きでもしに行くのかと」 「食後の運動」 「愛しい僕の使い魔に会いに来たのさ。ほーらドバドバミミズだよー」 「酔ってやがる。飲み過ぎたんだ」 「え? これ素じゃないのか」 「ごめん。不作法だとは思ったけど、こんな酔っぱらいを放っておく訳にはいかなかったんだ」 至極勝手な言い草を聞いて、わなわなと震えるルイズとは対照的に、実に楽しそうな声で笑ったのがクロコダインである。 憎まれ口を叩いていても、仲間を心配してここまできたのだと分かったのだ。大切なパーティーを中座してまで。 元の仲間たちもそうだった。立場も、年齢も、住む場所も、世界すら違えど、人は人を思いやる心を持っている。 クロコダインはあらためて思う。 やはり、人間というのは素晴らしいと。 結局、ルイズたちは舞踏会には戻らなかった。 彼らはマルトー特製の料理に舌鼓を打って使い魔一同を密かに嘆かせ、オスマン秘蔵のワインに心地よく酔って呂律が廻らなくなり、昼間の武勇伝に花を咲かせる。 やがて痛飲したキュルケをタバサが部屋まで連行し、完全に沈没したギーシュたちをレイナールがおざなりなレビテーションで半ば引きずりながら退場していった。 使い魔たちもそれぞれねぐらに帰って行く。 残っているのはクロコダインとデルフリンガー、そして半分寝ている状態のルイズだけになった。 「いいころー、これからー、じぶんのことー、かいぶつらなんれー、いっちゃらめー」 酒に弱いくせにしこたま飲んだせいか、完全に舌が回っていない。舞踏会での淑女っぷりはどこへやら、である。 「それからー、あるじろるかいまはー、いっしんろーたいなんらからー、いっしょにいるころー」 「なあ相棒、なんて言ってるかわかるか?」 「多分『主と使い魔は一心同体だから一緒にいろ』じゃないか?」 「ああ、言われてみれば」 クロコダインは酔っているように見えず、デルフリンガーはそもそも酔える訳がないので会話は一応成り立っていた。 「しかし何だね、それいい酒なんだろ? あんなに大勢で飲んでも良かったんか相棒。俺には分らんけど」 どうせ俺には飲めないしね、と鎬を鳴らして剣が喋る。3本あった大瓶のうち、2本が空になっていた。 「楽しく飲めればそれが一番さ。酒の良し悪しは、まあ二の次だ」 クロコダインは笑ってクラゲの様な状態のルイズを抱え上げた。 「美味い酒が飲めるのはいい事さ、それが仲間たちと一緒なら尚更な。さあ、そろそろ戻るぞルイズ」 「えー、やらー、もっろくろこらいんといるのー」 抵抗するのは口だけで、それも本気ではないのは誰の目にも明らかだ。それが獣人とインテリデンス・ソードであったとしても。 「いや、それにしてもてーしたもんだ!」 寮へ向かって歩き出すクロコダインを見送りながら、デルフリンガーは機嫌良さそうに笑った。 「主人にここまで懐かれる使い魔なんて、初めて見たぜ!」 前ページ次ページ虚無と獣王
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29 虚無と皇太子 前ページ次ページ虚無と獣王 ルイズ、キュルケ、ワルドの3名は空賊船の船倉に監禁されていた。 当然ながら杖は取り上げられている。魔法は杖がなければ発動できない為、今の彼女たちはただの平民と変わらなかった。 扉には鍵を掛けられ、外には見張りがいるこの状態で出来る事は少ない。 キュルケは物珍しそうに船倉の中を見渡し、ルイズは内心の不安を表に出さないよう努めている。 そしてワルドは、空賊と名乗った者たちについて考えを巡らせていた。 (やはりおかしい。本当に連中は空賊なのか?) 襲いかかられた時も疑問に思ったのだが、一介の賊にこの規模のフネを維持・運営できるとはどうしても考えにくい。 船倉には酒樽や食料に混ざって、大量の火薬樽やうずたかく積み重ねられた砲弾がその存在を主張している。 (どう見ても軍艦規模じゃないか。それに連中の身のこなしは素人のものじゃない) フネから『マリー・ガラント』号へと乗り移る時の手際といい、その後の制圧の手並みといい、どうも空賊というよりは訓練された軍人の様にワルドには感じられたのだ。 それに加え、どうにも腑に落ちない事が彼にはあった。 (何故だ、どうしてあいつらは僕とルイズたちを別々の場所に監禁しないんだッ!) そもそも空賊なんてものは総じて無頼の輩であり、そういった者たちは女に目がないと相場が決まっている。 当然ルイズたちは別室へと連れ去られ身体検査と称してあんな事やこんな事をされてしまうというのがワルドの認識であった。 タイミングを見計らって、具体的には彼女らがブラウスとニーソックスのみの姿となったところで颯爽と現れ、悪党をちぎっては投げちぎっては投げの大活躍、ルイズは僕に惚れ直すという完璧な計画が台無しじゃないか! と空賊に対する歪んだ偏見と20代とは思えぬ妄想力を全開にするワルドさんである。 (全く使えないにも程がある! 僕の期待を裏切ったな! 貴様らに空賊を名乗る資格はない!) 空賊と名乗った彼らが聞いたら憤死しそうな言い分であるが、魔法衛士隊隊長殿は一片の曇りもなく本気なのであった。 ちなみにキュルケはもちろんルイズも今現在ニーソックスなど履いていないのだが、それは言わない約束である。 ともかく、ワルドが心中に秘める『計画』において、ルイズはかなり重要なポジションにあった。 彼女を味方にする為に様々な手段を用いようとしていたのだが、どうにも上手くいっていない様な気がしている昨今なのである。 上記のような妄想も、そんな焦りから来ているのだ。半分は素だが。 実際のところルイズはワルドをかなり信頼しているのだが、逆に魔法が使えないコンプレックスを刺激されていたり、10年ぶりに現れた憧れの婚約者にどう接していいのかまだ微妙に距離感が掴めない状態にあった。 しかし衛士隊の仕事や修行としての任務、最近では『計画』の立案と実行で忙しい毎日を送るワルドにとって、そんな少女の内心を慮るにはいささか経験が足りない。 結果として変なところで生真面目なワルドとルイズは黙りがちになり、基本的に陽性なキュルケは居心地の悪さを痛感するのであった。 とまあそんな状態が一刻ほど過ぎた時、扉の向こうから空賊の1人が現れた。手には3人分のパンとスープを持っている。 「しかしまあ、何だってあんなフネに貴族様が乗っていたんだい?」 揶揄するような口調の男に、ルイズは短く「旅行よ」と答えた。 本当の理由を言える訳がないのだが、内乱状態の国に赴く理由としてはかなり説得力がない。ルイズ本人がそう思っているのだから、当然ながら空賊も納得しなかった。 「そりゃあ随分優雅なもんじゃねえか。しがない平民としちゃあやかりたいねえ」 扉の近くでこちらを油断なく見張っていた仲間の空賊も忍び笑いを漏らしている。 じゃあな、と再び扉の向こうへと姿を消した男をルイズは睨みつけた。 その後ろではキュルケとワルドがそれぞれパンとスープに手を伸ばす。 お世辞にも質の良いものではなかったが、腹に入れておかなければいざという時に動けないからだ。 「食べないの?」 スープに固いパンを浸しながら尋ねるキュルケに、ルイズは少し呆れた様な口振りで言った。 「緊張感ないわね。そもそも敵の差し入れたものをそんな簡単に口に入れるなんて」 「トリステインと違ってゲルマニアでは名より実を取るのよ。どんな奴が持ってきたって食べ物は食べ物でしょ」 あっさり返されてルイズは言葉に詰まる。 頭では一理あると思っているのだが、任務を妨害する者たちに苛立つ感情は抑えきれなかった。 一年以上ルイズをいじってきたキュルケにとって、その辺りの彼女の感情は手に取るように分かる。 「少しは食べないと大きくなれないわよ? 色んなトコロが」 分かるからといっていじるのを止めないのがキュルケ流であった。 「こう考えてはどうかな。スープとパンを僕らが食べる事で、連中の備蓄に打撃を与えている、と」 ワルドからもそんな言葉、というか助け船が出てきた為、ルイズは渋々といった風情で差し入れに手を伸ばす。 「食べたら今後の事について話し合おう」 ワルドはルイズらに声を出さないようゼスチャーしながら、ブーツの裏側に隠していた予備の杖を見せた。 なるほど、ぬかりないというか、油断できない男ね。 感心しきりのルイズとは異なり、キュルケはそんな風に思う。 実を言えばキュルケも服の間に、というか胸の谷間に小さな杖を予備として隠し持っているのだが。 「あの男たちが僕らにどんな対応をするかが今後の鍵だ。いざとなればグリフォンのところまで強行突破しなければならない」 頷く少女たちにワルドは続ける。 「ただし一介の空賊としては引っかかる部分があるのも事実だ。さっきの男にしても言葉は粗野だが余りにも隙が見あたらなかった」 怪訝な顔をするルイズにこれまでの疑問点(但し妄想は除く)を説明し、ワルドはこう締めくくった。 「僕の考えが正しければ、我々はじきに空賊の頭のところへ連れていかれるだろうね」 その頃トリステイン魔法学院では、とある女生徒がひどくやきもきしていた。 女生徒の名はモンモランシー。『香水』の二つ名を持つ水メイジである。 午前最初の授業が終わると同時に彼女は隣のクラスへと赴いた。 「レイナールかギムリはいるかしら」 顔見知りの同級生に聞いてみると、ちゃんと授業に出ていたという。 「どうかしたのかい?」 声が聞こえたのか、レイナールが眼鏡を直しながら教室の奥からやってきた。 「今日もギーシュが休んでるんだけど、何か知ってるかしら?」 「いや、何も聞いてないけどなあ」 少なくとも一昨日、王女が学院に来た日には何も言ってなかったとレイナールは思う。 念のためにとギムリにも尋ねてみるが、答えは同じだった。 「あいつがサボるのは前から結構ある事だろう。いちいち気にしてたら身が持たないんじゃないか」 ギムリなどはそう言って笑うのだが、一応モンモランシーを気遣い「どうせ女絡みだろ」という憶測は胸に秘めておく。 しかしモンモランシーの表情が好転する様子はみられなかった。というより険しさは増す一方である。 「どうしたんだ一体」 さほど親しくない自分たちにまで会いに来ている時点で真剣さが滲み出しているモンモランシーに、レイナールは困惑の色を隠せないでいた。 「……じゃあルイズが休んでいる理由とかも、聞いてない?」 「ヴァリエールも休んでいるのか!?」 ルイズはこれまで一度も授業を休んだ事はない。 魔法実技でどれだけクラスメイトから心ない言葉を浴びせられても、また体調があまり良くない時でも、彼女は生真面目に出席していたのである。 そんなルイズが何故か昨日と今日、教室に姿を現さないでいる。 普段から色々とルイズの世話を焼いている黒髪のメイドに聞いてみたところ、寮の部屋にもいないらしい。 ここのところギーシュとルイズの仲を疑っていたモンモランシーにとって、2人が同時期に休んでいるという事実は彼女から容易に平静さを奪い取っていった。 考えてみれば筆頭公爵家の三女と武門として有名な伯爵家の子息である。家柄的には問題ないと言っていいだろう。 もうこうなると想像は悪い方へと転がる一方だ。 近接格闘同好会での様子を知っているレイナールやギムリからしてみれば「それはないだろ」的なカップリングなのだが、不幸な事に争い事が嫌いなモンモランシーはそこまで会に参加しておらず、従って想像に歯止めはかからなかった。 ちなみにキュルケとタバサも全く同じ時期に休んでいるのだが、彼女たちは一年の頃からサボり常習犯として有名だったので、今回は偶然時期が重なっただけではないかとモンモランシーは考えている。 とにかくギーシュが帰ってきたらどうあっても、是が非でも、何としてでも、真相を聞き出さなければならないと、固く心に誓う彼女であった。 鬼気迫る様子に弱冠引き気味のレイナールであったが、ふと思いついた事を口にする。 「真面目なヴァリエールが休むなら先生に理由を告げていってないかな? 何なら僕が聞いてきてもいいけど」 丁度ワイバーンの件についてのレポートが書き上がった所であった。 課外授業として単位をくれる事になっていたので学院長に持っていかなければならないからそのついでに、というレイナールの提案にモンモランシーは一も二もなく賛成する。 じゃあ次の休み時間に行こうという事になったのだが、残念ながら学院長はここのところ王都に行き詰めで不在であった。 留守の間に秘書役を無理やり押し付けられていたコルベール曰く、ルイズの姉の調子があまり良くない為しばらく実家に戻るという伝達があったとの事だ。 ギーシュ、キュルケ、タバサについては休む理由は届いておらず、いつものサボリとみなされている様だった。 「まあ、家族の事情なら仕方ないわね。一応半分くらいは疑いが晴れたかしら」 胸を撫で下ろすモンモランシーに、半分はまだ疑っているのかと背筋を凍らせるレイナールとギムリである。 仕事を押し付けられる際に学院長から本当の事情を聴いているコルベールとしては生徒たちに正直に説明する訳にもいかず、用意されていた答えを告げるしかない。 彼は仕事に疲れたふりをして表情を悟られぬようそっと顔を伏せ、教え子たちの無事を始祖に祈るのだった。 しばらくして再び船倉に空賊が現れた。さっき忍び笑いをしていた痩せぎすの男だ。 「来な。お頭が会いたいと言ってる」 横柄な態度には腹が立つが、ワルドの予想が当たった事もあり表立っては何も言わず、ルイズは指示に従った。 狭い廊下を男の先導で歩いていくと周りから好奇の目で見られている事に気付く。 不躾な視線にルイズの不快感は高まる一方なのだが、ぐっと堪えて見せ物ではないとばかりに胸を張った。 敵に弱みを見せるな、常に毅然とした態度を取れという両親の教えを自然と思い出す。 そんな後ろ姿を身ながらキュルケはクソ度胸があるわねと感心していた。 とはいえ彼女も空賊の視線などどこ吹く風とばかりに自然体を保っているのだから、人の度胸を言えた立場ではないのだが。 さほど時間をかけることもなく、ルイズたちは廊下の突き当たりにある船長室に辿りついた。 案内の男が扉を軽く2回ノックすると、中から「おう、入れ」と張りのある声がする。 部屋の中には『マリー・ガラント』号を鮮やかな手並みで乗っ取った男が椅子に腰掛けこちらを眺めていた。 「早速だがちっとばかり聞きてえ事がある。アンタらは貴族派かい、それともいけすかねえ王党派か?」 すかさず王党派と答えようとするルイズを手で制し、ワルドはお頭と呼ばれる男に話しかけた。 「それを聞いてどうするつもりかね? ひょっとして、我々の身代金に関しての相談かな?」 「察しが良くて助かるぜ。王党派なら何の問題もねえんだが、貴族派に与してるとちっとばかり話が違ってくるもんでな」 頭は軽く肩をすくめる。 「じゃああんたたちは貴族派なのね!?」 ルイズが鋭い声を上げるが、空賊の答えは予想とは少し異なっていた。 いわく、彼らはあくまで貴族派とは対等の関係であり、『協力者』として王党派の人間がいないかこの空域のフネを『臨検』しているのだという。 「とまあそんな訳でな、流石に『協力者』の身代金を要求する訳にもいかねえだろう?」 頭の後ろで屈強な男たちがドッと笑った。 「生憎とわたしたちは王党派よ。ここから先は大使としての対応を要求するわ」 高らかに宣言するルイズは、更にそうしない場合は一言も口をきかないと付け加える。 もちろん自分が相当な無茶を言っているのを彼女は自覚していた。任務の事を考えるなら適当に話を合わせて相手を油断させた方が利口である事も。 ただルイズの性格的にそのような演技はこれっぽっちも向いておらず、加えて『敵』と認識したものに頭を下げるような真似は死んでもゴメンだと思ってしまったのだ。 実を言えば身体の震えが止まらない状態ではあるのだが、そこはそれ武者震いだと自分で自分に言い聞かせる。 そんなルイズの後ろでは、キュルケが片手で顔を覆い「アチャー」という表情を浮かべていた。 気持ちはわかるし共感もするけど、もうちょっと言葉を選びなさいよという台詞が喉から出そうになるのを何とか抑え込みながら周囲を見渡す。 空賊の頭は水晶のついた杖を持っている事からメイジに間違いないとして、護衛と思しき野郎どもは果たしてどうだろうか。 自分の魔法に自信がないわけではないが、これだけの人数を敵に回して勝てると思うほど過信はしていない。 いざという時はワルドを盾か囮にでもしてルイズを連れて逃げようと密かに誓うキュルケであった。 頭は別に怒った風でもなくルイズに問いかける。 「王党派なんざ明日には霞の様に消えちまうぜ。それよりゃ貴族派に手を貸しちゃどうだい? 腕のいいメイジは手厚く遇してくれるって話だ」 ルイズは先の宣言通り口をきかなかった。ただ表情が「寝言は寝てから言いなさい」と告げている。 「せめて名前くらいは名乗りな。お頭の前なんだぜ」 「そうだな、このままじゃ身代金をどこに請求していいか分からねえ」 痩せぎすの男を発端に空賊たちが揶揄するが、やはりルイズは喋らない。 極秘任務に就いている身で自分の素性を敵に通じている者たちに教えるつもりなど毛頭なかった。 その割に大使という言葉を出してしまっている辺り、詰めが甘いというべきだろうか。 ヴァリエール公爵なら甘いと表面上は言うだろう。オールド・オスマンならど素人の学生に何を求めているのかと呆れるだろう。 そしてこの場にいる空賊の頭はと言えば、大声で笑いだしていた。そこにルイズを嘲る色はなく、ただ本当に愉快だとでも言うように。 思わず呆気にとられるルイズに、頭は目元に浮かんだ涙を拭いながら話しかけた。 「いや失礼。まさかこんなタイミングで外国から大使が来るなどとは想像の外だったものでね、色々と試す様な事をしてすまなかった」 詫びながら彼は縮れた黒髪をあっさりと外す。眼帯と無精髭も本物ではなかった。 後ろに並ぶ男たちが一斉に杖を掲げる中、言葉もないルイズとキュルケにさっきまでむさ苦しい空賊の頭だった筈の金髪の貴公子は、笑みを浮かべて名乗りを上げる。 私がアルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだと。 トリステイン王立図書館。 ここ数日オールド・オスマンは泊まり込みである調査に勤しんでいた。 国内最大の蔵書数を誇るこの図書館ならば、『鳥の骨』マザリーニに依頼されたレコン・キスタが使っていると思われるマジックアイテムについて手がかりを得る事が出来るのではないかと考えたのだ。 何せ敵がマジックアイテムを使っていると判明してはいない。 状況から見てその可能性が高いというだけで、本当に貴族たちが王を裏切っていないとは言い切れないからだ。 可能性はかなり低かったが。 取り敢えず、彼が最初に調べたのはアルビオン発祥の伝説や民話関係であった。 しかし膨大な数の書物を漁ったものの成果は得られず、残ったのは疲労感と徒労感だけだ。 それでもオスマンは老骨に鞭を打つかの如く次の作業に取りかかる。 元来勤勉さとはかけ離れた性格の学院長がなぜこうも熱心なのか。 実は依頼を解決した暁には、キレイなオネーチャンのいる店で好きなだけただ酒を飲んだ上で、彼の好みの若い女性を学院秘書として送るという約束をマザリーニと交わしていたのである。 それはもう、否が応にもやる気が出るといった寸法なのであった。 更に言うと、王立図書館の司書であるリーヴルという女性は若くて容姿端麗であり、つまるところ彼女は実にオスマンの好みのタイプだった。 もっとも彼の『好みのタイプ』は随分と幅が広いのだが、ともあれそんなリーヴルがオスマンのモチベーションを高める一因となっていたのは確かである。 そのリーヴルが差し入れた紅茶を飲みながらオスマンは1人思索に耽っていた。 (これでアルビオンの線は薄くなったが、さて、今度はどこにアタリをつけたもんじゃかのう) 反乱軍の首領の前身を考慮してロマリア関連を探るべきか。 それとも水の力を利用していると考えられるマジックアイテムの性質から当たるべきだろうか。 (水の力か……。水と言えば、一応ここは『水の国』なんじゃがな) アルビオンが風、ガリアが土と例えられるのと同じく、トリステインは水を司るとされている。 (王家の者の多くは水系統の使い手、始祖より賜りし水のルビー、そういや昔は水精霊騎士隊なんてのもあったの) そこまで連想した所で、ふとオスマンの脳裏に引っかかるものがあった。 (そうじゃ、確かあそこにはそのまんまな存在がおったじゃないか!) オスマンは己の使い魔にリーヴルを呼んでくるよう命じつつ、大急ぎでトリステインが誇る景勝地、ラグドリアン湖に関する本を探し始めるのだった。 あまりといえばあんまりな告白に、ルイズの思考回路は一時的にフリーズしてしまっていた。 「あー、大丈夫かな、大使どの」 「やはり自己紹介に少し無理があったのでは、ウェールズ様」 困ったような皇太子に突っ込んだのは案内役をしていた痩せぎすの男である。 「そうか? アルビオン王立空軍大将とか本国艦隊指令長官なんて言うよりは通りがいいと思ったのだが……」 「いえ、肩書きの問題ではないでしょう」 「ついさっきまで空賊としてノリノリで演技してたんですから、突然『ボク皇太子です』などと言っても説得力に欠けると申しますか」 部下たちの言い分に、ウェールズは素直に肯いた。 「確かにそうだ。しかしノリノリで空賊を演じていたのは卿らも同じだろう。説得力の無さは私1人の責任とは言い難い筈だ」 肯いただけで、ちゃっかり責任を分担させようとする皇太子である。 「思うにこんな会話をしている事も、説得力の無さに拍車をかけている気がするのですが……」 部屋の隅にいたまだ若い仲間のメイジの台詞に、ウェールズ以下アルビオン空軍の面々はハハハこれは一本取られたなとひとしきり笑った後で、深く静かに俯いた。 「あ、ああ、あの、すすすいません失礼いたしました。……でも、失礼ついでと申しますか、ええと、本当にウェールズ皇太子様、なのですよね?」 一足先に立ち直ったキュルケに脇をつつかれ、ようやく再起動を果たしたルイズが慌てて口を開く。 慌てていたので言葉の内容まで吟味できず、そのまま思った事をしどろもどろに口にしてしまっていた。 「いや、大丈夫だろう。この方は本物の皇太子様だと思うよ」 そう答えたのはワルドである。 「お初にお目にかかります、殿下。私はトリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵と申します」 一礼するワルドに、空軍の男たちが数人「よう」「久しぶり」と声をかけた。 巧妙に変装していたが、よく見れば彼らは以前合同軍事演習において幾度か顔を合わせた事のある竜騎士隊の面々であるのにワルドは気がつく。 そうだった、あの時は確か模擬戦に負けた方が賞味期限ギリギリのアルビオン軍特製保存食を食べなくてはならないという裏ルールのせいで随分と必死になったものだった。 また休憩時間などには、王宮に勤めるメイドの服をミニスカにするにはどうしたらよいか、国を越えて熱く語り合ったのをワルドは懐かしさと共に思い出す。 おそらく彼らも、自分がただの空賊ではないと看破していたのと同じ様に、ルイズたちが物好きな貴族の旅行者などとは考えていなかったのだろう。 ワルドについては上記の理由からすぐに身元が判明したのだろうが、残りの2人については正体も目的も分からなかった為、様々に揺さぶりをかけて反応を確かめていたのだ。 (それにしても、皇太子自らがフネに乗って陣頭指揮を執るとはな) 王党派はそこまで追いつめられていたのかとワルドは察するが、それと同時に彼はある種の感動を覚えていた。 指導者が戦場に赴くのは安全面を考えると決して良い策とは言えない。 しかし、そもそも王族に限らず、貴族というものは平民を守る為に先頭に立つ存在であるべきなのだ。 その点において、間違いなく勇敢であろう皇太子に比べ、自国の現状は果たしてどうか。 ワルドが自分の「計画」を早急に実行しなければならないと心中で誓っている間に、完全に立ち直ったルイズは大使としての役目を果たそうとしていた。 「初めまして。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。アンリエッタ姫殿下の命により密書を言付かって参りました」 ヴァリエールの家名を聞いて、ウェールズや部下たちがその表情を変える。 トリステイン王家の血を引く筆頭公爵家の一員がこの時期に大使として来る以上、おそらく国家を揺さぶる様な事態である事は自明の理であった。 更に懐から託された手紙を取り出すルイズの手元を見て、ウェールズはアンリエッタが彼女を相当信頼しているのだと判断する。 「失礼、君が手に填めているのは『水のルビー』かな?」 「は、はい」 成る程、と呟いて皇太子は優しくルイズの手をとった。 すると、ウェールズの指にあった大粒の水晶とルイズの水色の宝石が共鳴し、周囲に虹色の光を作り始める。 「風と水は虹を生み出す。叔父は2つの王家にかかる虹の橋だと言っていたよ」 叔父とはアンリエッタの父、すなわち数年前に亡くなったトリステイン王の事だ。 「王家の秘宝を持っているとは、君は本当に姫から頼りにされているのだね」 感心しきりの皇太子に、ルイズは曖昧な笑みを返した。 まさか秘宝とは知らず『路銀の足しにして下さい』なんて軽い感じで言われたなどとは、とてもじゃないが伝えられない。 さておき、密書を受け取ったウェールズは花押の押された蜜蝋に接吻すると丁寧に便箋を取り出す。 真剣な面持ちで最後まで読み終えた皇太子は、姫がゲルマニアに嫁ぐのは本当なのかと尋ねた。 ルイズとワルドが頷くと、彼は成程と小さく呟いて隣国の情勢に想いを馳せる。どこもかしこも追い詰められていくものなのだな、と。 「姫の願い、確かに承った。ただ、君たちには申し訳ないのだが、彼女が求めているものは既に処分してしまっていてね」 そう、アンリエッタからの手紙は貰った次の日に燃やしてしまっていた。次期王として育てられた身である。一個人としての思いを優先してなどいられない。 手紙の内容は一言一句欠けることなく脳裏に刻まれていたが、それは自分が墓まで持っていけばいい事なのだと、ウェールズはそう考えていた。 ルイズはこれで任務を果たしたことになるのかしらと考えていた。 一応マザリーニらは件の手紙が既に破棄されている可能性を考慮しており、そうでなかった場合は回収せよと言われている。 アンリエッタは自分の手紙が捨てられていようなどとは思ってもいない様子だったが、内容的には処分されていて良かったと言うべきだろう。 年頃の乙女としては思うところがない訳ではないが、流石に自国の浮沈が天秤に掛かっている状態でそんな主張をするつもりはなかった。 手紙が存在しない以上、あとはクロコダインらと合流した後で王城に戻り、アンリエッタに報告すればそれでいい筈だ。 「すまないがラ・ヴァリエール嬢。ひとつ頼みがあるのだが聞いて貰えるかな」 「は、はい」 突然ウェールズに話しかけられたルイズは慌てて考えを中断する。 「実は大使である君に譲っておきたいものがある。みすみす貴族派にくれてやるのも惜しい品でね、できればニューカッスルまでご足労願いたいのだが」 総攻撃までまだ数日の余裕があると言う話は、ラ・ロシェールでも耳にしていた。 クロコダインからは危険な事はしないでくれと言われているが、本格的な戦闘になる前に離脱すれば大丈夫なのではないかとルイズは思う。 なにより皇太子たっての頼み事を断れるほどの冷たさを、彼女は持ち合わせていなかったのである。 そんな訳で、ルイズらはこのまま賓客として『イーグル』号に乗りこんだまま、『マリー・ガラント』号を従えた状態でアルビオンを目指す事となった。 風竜とワイバーンの飛ぶスピードは、他の生物と比べ随分と速いものだった。 しかし快速を誇り、なおかつワルドの風魔法の後押しを受けたマリー・ガラント号や、残された風石を積めるだけ積み込んでいた戦艦イーグル号に追いつけるかといえば、答えは否である。 また彼らは空賊や貴族派に見つからない様にする為、半分雲に隠れながら進まなければならなかった。 マリー・ガラント号も同じ事を考えているのではないかとタバサは想像していたのだが、一向にその姿が見えない。 こちらとは航路が全く異なっているのか、それとも後先考えない速度で飛んでいったのか。 何にせよアルビオンに向かっているのは間違いないのだから、ルイズたちの無事を信じるしかなかった。 「しかしオスマン殿から聞いてはいたが、大陸がそのまま空に浮かんでいるとは思わなかったな」 感慨深げなクロコダインに、後ろにいたギーシュが声をかける。 「東方にはアルビオンみたいな島はないのかい?」 ルイズやオスマンたちといった一部の人間を除いては、彼が異世界から来た事は知られていない。 「ああ、巨大な人型の城塞や空を飛ぶ宮殿ならあったんだが」 「そっちも大概だと思うね!」 もっともな感想ではある。 「しかし城が人の形というのもスゴい話だなあ。まさか動いて敵を攻撃したりしないだろうね?」 「よくわかったな」 冗談で言った事を真顔で返されてギーシュは絶句した。 無数の砲門に狙われた時は肝が冷えたものだと笑うクロコダインに「冷えただけ!?」と突っ込む姿は、彼に少しだけ仲間の魔法使いを連想させる。 これでその巨大人型城塞をたった1人の少年が真っ二つにしたなどと言ったらどんな顔をするだろうか。 ちなみにギーシュと彼の使い魔がワイバーンに乗っているのは、シルフィードが竜としてはまだ幼いからである。対してワイバーンは成竜であり、その体躯も風竜より一回り大きかった。 さらにこの配置は仮に空中戦になった場合、小回りの利くシルフィードを身軽にしておくという思惑もある。 さて、密かにイーヴァルティの勇者の様な冒険ものの本を愛好するタバサにとって彼らの話はかなり気になるものだった。 ただ流石に周辺を警戒している今の状態で、ずっと聞き耳を立ててはいられない。 学院に帰ったら詳しい話を聞こうと、固く心に誓うタバサであった。 慣れない二重スパイをなんとかこなしているフーケから情報を得たサンドリオンは、随分長い付き合いのマンティコアに跨って空を駆けていた。 もっともラ・ロシェールを出発したのがクロコダインらと比べてもかなり遅かった為、完全に出遅れてしまっている状態だ。 飛びながら考えるのは、やはりルイズの事である。 先のフーケ追跡戦の話を知った時にも感じた事だが、どうしてこの娘は自ら危地に向かおうとするのか。 確かに貴族としてその選択が間違っている訳ではない。むしろ行くしかないような状況であったとも言える。 しかし、だからと言って周囲の人間が心配しないかといえば、それはまた別の話だ。 貴族であれば使えて当然である魔法を爆発という形でしか発動させられないルイズが、それでも諦める事なく努力を続けてきたのをサンドリオンはよく知っていた。 しかし、先月の使い魔召喚の儀式で彼女はサモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントを成功させている。 これからは一人前のメイジになるため研鑽しつつ、しかし少なくとも学生の間は平穏に過ごしていて欲しかったというのがサンドリオンの思いであった。 自分は今のルイズよりも若い頃に王族や自分の命に関わる重大な任務についた事もあったが、それはあくまで魔法衛士隊に入りたいという自分が選んだ道である。 後悔などしていないし、もしあの頃に戻れたとしても同じ行動を取るだろう。 だが軍属でもないルイズが向かっている地には3万もの貴族派が集結しつつあるのだ。加えて彼女と行動を共にしているワルド子爵には敵方の密偵ではないかという疑いが掛けられていた。 これで心配するなという方がどうかしている。これならまだ単独で内乱を鎮圧したり火竜をなぎ倒したりする方が気が楽だった。 オールド・オスマンによれば、ルイズの召喚した使い魔も似た様な思いを抱いている様で、任務の重要性を理解しつつもルイズを危険に晒す事には反対していたらしい。 兎にも角にも、戦場へと向かうルイズたちに一刻も早く合流する必要がある。 焦りを抑えながらサンドリオンは自身の切り札のひとつを使う事にした。 杖を構え、流れるように呪文を唱えると、すぐ横に自分と全く同じ姿が現れる。風のスクエアメイジだけが可能とする高等呪文、『遍在』だ。 続けてサンドリオンがマンティコアを包み込む様に風の結界を作り上げると、『遍在』は後ろ向きに竜巻のような風魔法を放ち始めた。 要はワルドが風石代わりに使った方法と同じ事をしているのだが、フネを加速させるほどの魔法を3メイルあるかないかのマンティコアで実行した場合どうなるか。 答えは、目にも留まらぬほどの凄まじい速度を得る事が可能となるのである。 おまけにサンドリオンの魔法は、ワルドのそれより更に強い風を生み出していた。 かつてトリステイン最強と謳われたメイジが、引退後は見せる事のなかった本気を発揮しつつある事に、まだ誰も気付いてはいない。 前ページ次ページ虚無と獣王
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前ページ次ページ虚無と爆炎の使い魔 ――第6話―― 「け、決闘って……突然何を言い出すのよ!そんなの駄目に決まってるじゃない!」 「る、ルイズの言う通りさ。そんな暴力的事をしたって解決にならないだろう?」 ハドラーの決闘発言からようやく立ち直った二人は、矢継ぎ早にハドラーへの抗議を開始する。しかし。 「おい聞いたか?決闘だってよ決闘!」 「『青銅』のギーシュ対『ゼロ』のルイズの決闘かよ!こりゃ面白くなりそうだ」 「ばっかお前『ゼロ』じゃ相手にならないだろ!」 「はぁはぁ決闘だって?ルイズの身悶える姿が見れるなんて今日はなんてツいて(ry」 妙に興奮したマリコルヌが卑猥な想像をする前に、ルイズは拝借したワイン瓶で殴り倒した。直後に、どこからかやって来た「衛生委員」と書かれた腕章を付けた生徒達が、汚物を扱う様な手つきで、マリコルヌを焼却炉がある方向へと引き摺って行く。 その光景を眺め、ああ燃えるゴミだったのね、と妙に感心したルイズだが、はっとして、かぶりを振る。今はそれどころじゃ無いのだ。 とにかくも、当事者達の意向などお構いなしで盛り上がっているギャラリー達に、ルイズとギーシュは、すっかり混乱していた。そんな二人にハドラーが声を掛ける。 「……不満の様だな」 「当たり前でしょ!」 「あら、あたしはいい考えだと思うけど?」 「「え?」」 突如した別の声にルイズとギーシュは振り向く。そこにはギャラリーを掻き分けてやって来るキュルケとタバサの姿があった。 「機嫌は直ったようね、ルイズ。あんまりストレス抱え込むと、成長が止まるわよ」 「大きなお世話よ、キュルケ。で、これのどこが『いい考え』なのかしら?」 「逆に聞くわよ。決闘の他にこの騒ぎを止める方法はあって?ついでに言えば、その場合どちらかが折れる必要があると思うんだけど?」 その言葉に二人はうっ、と黙り込んだ。どちらの主張も『貴族』という言葉がきっかけだ。お互い折れる気は全く無いだろう。だからこそ決闘で白黒付ければいい。そうキュルケは続けた。 「で……でも、貴族同士の決闘は禁止されている筈だろ?破れば当然の如く罰則が待っている様な状況でわざわざやる必要が無いじゃないか」 おずおずとギーシュが言う。その意見にルイズも黙って同調した。キュルケの言う事には確かに一理あった。それでも尚、躊躇う理由はそれだ。 だが、キュルケはそんなギーシュの言葉はまるで無視すると「出番よ」とでも言いたげに、ハドラーに頷き掛けた。それを受け、ハドラーが、ずい、と前に出る。 「では変わりに俺が戦おう」 「はい?」 ギーシュが何とも素っ頓狂な声を上げた。 「主と使い魔は一心同体……だそうだな。つまりは、主の侮辱は俺への侮辱。決闘には十分な理由だろう?使い魔が相手なら、何も問題はあるまい」 そう言って何とも邪悪な笑みを見せたハドラーに、ギーシュは心の底から震え上がった。この危機をどう脱するかと、薔薇色の頭をフル回転させる。 「よ、よし!……わ、分かったよ……る、る、ルイズ……き、君に、け、け、決闘を申し込む」 「ちょ、ちょっとギーシュ!」 突如意見を翻した事に、ルイズは抗議するも、ギーシュは全く取り合わない。と言うか聞いてすらいない。いつも女の子とのロマンスを想像している筈の頭は、その培って来た豊かな想像力によって、ハドラーと対峙した自分がミンチと化す光景が何度も再生されていた。 ――あの悪魔と戦って無惨に殺されるぐらいなら、罰則が付いても『ゼロ』と戦う方がよっぽどマシだ―― この先生きのこる為に、ギーシュが出した結論である。 「悪いがもう決めた事だ。周りもすっかり賛同している事だし、今更取り消しは効かないよ。……ヴェストリの広場で先に待つ。準備ができたら来たまえ」 「待っ……」 ルイズが呼び止める暇も無く、素早く踵を返したギーシュは、そそくさと立ち去ってしまった。呆然としているルイズの後ろで、キュルケ達とハドラーが楽しげな声を上げる。 「中々の手際だったな」 「どういたしまして♪こんな面白そうなイベント、中止させてたまるもんですか」 「全裸で待機」 「……あんた達……」 耳に入って来る言葉の数々にルイズはぷるぷると拳を震わせていた。 ギーシュが去ったしばらく後、しん、と静まり返った食堂にて、ルイズ達は佇んでいた。 あれ程いたギャラリー達はすっかり姿を消していた。皆ギーシュの後を追い、ヴェストリの広場へと向かったのである。 開けっ放しのままになっている入り口から、心地良い春の空気が流れ込んで来た。大人数が会するこの部屋では、衛生上の観念から、風の魔法によって定期的な空気の循環が行われているのだ。 そんな穏やかな空間の中、残った者は皆思いのままに行動していた。当事者のルイズと、自分のせいでこうなったと思い込んでいるシエスタは、ひたすらあわあわとし、その様子をハドラーは黙って、キュルケは面白がって見ている。 タバサは、ようやくご飯が食べられる、とばかりに自分の席へと歩いて行った。どうやら昼食にあり付けなかったのは、ルイズだけではなかったらしい。 「でも正直な所ギーシュの相手をするには難しいんじゃないかしら」 無人のテーブルに腰を乗せると、何の気無しにキュルケは呟いた。それを耳聡く聞きつけたルイズは、壮絶な顔をしながら、キュルケの頬を引っ張る。 「あれだけ!煽って!おきながら!それを!言うのか!この口は!」 「ひょ!はにふふのほふいふ(ちょ!何するのよルイズ)」 「ふふはいふふは~い!!(うるさいうるさ~い!!)」 負けじと反撃したキュルケによって、途中でルイズも同じ声になった。両者ともそのまま手を離す事無く、は行を駆使しての激しい論戦が繰り広げられる。 いい加減、収まりの付かない二人に、やれやれと、止めようとしたハドラーだったが、その前に二人に割って入った人物がいた。 「も、申し訳ありません!!」 シエスタである。いきなり、沈痛な面持ちで自分達に謝罪を始めたメイドの少女に、ルイズとキュルケは呆気に取られた。 「何で謝られたのかしら?」 「さあ?」 互いの顔を見合わせながら疑問を浮かべる二人に、おずおずとシエスタが発言する。 「わ……私が、瓶なんか拾ったのがいけなかったんです。そのせいで、お二人にまでご迷惑を……」 あくまで自分のせいと言い切るこの生真面目な少女に、何となくバツの悪くなった二人は、こめかみを掻いた。ため息を漏らしてシエスタに告げる。 「貴女のせいじゃないわよ。言いがかりを付けたのはギーシュだし、それに首を突っ込んだのはこのルイズ。謝る必要なんて無くってよ」 「何か引っ掛かる言い方だけど……まあ、そうよ。アンタは自分の仕事をしただけだもの。怒られる理由も謝られる理由も無いわ。あとは私とギーシュの問題よ」 「で、ですが……」 尚も引き下がろうとはしないシエスタにルイズは「あ~もう」と頭を押さえる。 「だからもういいってば!平民の暮らしを守るのは貴族の義務よ!私はそれを守っただけ!アンタは何も悪い事なんかして無いんだから……」 はっきりとした口調でルイズが言い放った。 「だから、そんなに卑屈になる必要は無いの。もっと自分と、自分の仕事に誇りを持ちなさい。私と……アンタが傷つけられた名誉はきっちりあいつにお返ししといてやるわ」 ルイズの発言に、シエスタは呆気に取られた顔をした。ここに来て以来、自分にそこまで言ってくれた貴族など、皆無だったからである。 一方のルイズも困惑していた。たまたま関わっただけの平民に、ここまで言ってやる義理など何も無い筈だ。 ただ……と先程の光景を思い出す。衆人の中でたった一人、孤独に怯えていた姿が、『ゼロ』と蔑まれる自らの境遇と、どこか重なったのだ。シエスタに放った言葉は、自分に対してのものであるとも言えた。 ――そうね。時には、戦わなければいけない事だってある、か。『ゼロ』で無い事を証明する為に―― 「決闘……受けるわ」 「もう受けてるでしょ?」 寝ぼけたの?と呆れた様子のキュルケに、ルイズは落ち着き払って言い返す。 「違うわよ。『自分の意志』で決闘を受けるの。さっきまでは、先生方に言って、止めてもらおうか、とも考えてたけど……今は、そう決めたわ!」 「そう。で、勝つ方法はあるの?」 キュルケの鋭い指摘にルイズは「うっ」と言葉に詰まる。決意はしたものの、それだけではギーシュの操るゴーレムには勝てない。 一体どうすれば、と唸っているルイズの前にハドラーが顔を見せた。 「……アンタの力は借りないわよ」 気配を感じたルイズは、自分の使い魔の顔を見もせずに言い放つ。気分を害する事も無く、ハドラーが頷いた。 「分かっている。獲物を掠め取る様な真似をするつもりはない。ただ、主の『力』について説明せねばならん」 「え?」 突如告げられたその言葉でルイズが顔を上げると、いつの間にか数歩先の位置まで移動していたハドラーが顎をしゃくる。どうやら付いて来いとの事らしい。 急いで後を追い掛けるルイズの背中越しに「あの!」と声が上がった。振り向くルイズにシエスタが大声を張り上げる。 「ミス・ヴァリエール!私……何もできませんけど……応援します!ですから、頑張って下さい!それと……どうか無事に、戻って来て下さいね!」 何の含みの無い、純粋な応援。その声に力をもらった気がしたルイズは、貴族らしい上品な仕草で頷いた後、再び駆け出した。 ヴェストリの広場は、五芒星を描いた魔法学院の一角を担う、『風』と『火』の塔の間にある中庭である。西側にある広場なので、日中は太陽があまり差さない。 当然、普段は人の気配などあまり無いのだが、こと今日は違った。決闘の噂を聞きつけた生徒達で、広場は溢れかえっていたのだ。 その中心に、この決闘の主役である三人の姿があった。20メイル程の距離を空けて対峙しているルイズとギーシュ、そして、その二人の真ん中の位置で審判を務める、ハドラーである。 「諸君!け「決闘だ」 皆の注目を集めようとしたギーシュのセリフはハドラーによって遮られた。うおッーと歓声が巻き起こる中、薔薇を掲げたポーズのまま虚しく固まっている。 「どちらかが負けを認めた時点で決着としよう。勿論、相手が死んだり意識の無くなった場合もだ」 ハドラーが説明したルールに、ルイズとギーシュの身体が強張る。こんな決闘で死ぬなど笑えない冗談だった。 「では、始めい!」 ハドラーの合図で二人が杖を構えた。まず動いたのはギーシュだ。杖を振って、薔薇の花びらを一つ舞わせると呪文を唱える。 たちまち花びらが、大人程の大きさもある、戦乙女をかたどった青銅の像へと変化した。 「ご存知の通り、僕の二つ名は『青銅』。僕に代わってこの『ワルキューレ』がお相手するよ!」 髪を掻き上げながら、ルイズに、というよりは周囲にアピールする形でギーシュが言い放つ。 「随分と余裕そうじゃない?」 正面に構えたまま、油断無く、杖を握り締めたルイズが冷ややかに言う。 「当たり前さ!『ゼロ』を倒すのに全力を出す必要なんかあるのかい?」 そう返答し、嘲笑を浮かべた。「違いない」とギャラリー達がどっと沸く。 ギーシュは上機嫌だった。決闘の話が出た時は思わず狼狽してしまったものの、考えてみれば相手はルイズである。 魔法の失敗による爆発は警戒すべきだが、碌にコントロールができない事は今までの授業で十分分かっている。自分が負ける要素など何一つ無かった。 ――これだけの観衆の中で活躍すれば、モンモランシーだって、きっと僕に惚れ直す筈さ―― 群集の中にいるモンモランシーの姿を確認したギーシュは、そんな考えに浸っていた。 「あのバカ……また変な妄想してるわね」 こちらをちらちらと見つめて来るギーシュに、モンモランシーが呆れた様子で呟いた。そのまま大きなため息を吐く。 「相手は『ゼロ』のルイズなのに……。勝てば自分の株が上がるとでも思っているのかしら?」 「思ってるんでしょ?だってギーシュだもの」 「キュ、キュルケ!?」 突然上から降って来たキュルケ(とタバサ)にモンモランシーが驚きの声を上げた。 「人垣を掻き分けるのも面倒だったしね『フライ』で飛んで来たのよ」 「そんなのは分かってるわよ。それよりどういうつもり?貴女が焚き付けたらしいじゃない」 「あら、決闘を持ち出したのはルイズの使い魔よ?私はそれに協力しただけ。それに了承したのはギーシュじゃない」 涼しい顔で反論したキュルケにくっ、とモンモランシーが歯噛みする。それに構わず、キュルケは腕を組むと、はしばみ草を抱えているタバサに訊いた。 「さあて、どうなる事かしらね?」 「ふん、どうせルイズが降参して終わりに決まってるでしょうよ!魔法も使えないくせに調子に乗るからこんな事になるのよ」 代わりに答えたのは憮然とした表情のモンモランシーだった。それにキュルケが肩をすくめる。 ――まあそれが妥当な意見でしょうよ。私も同感……昨日まではね―― 内心でそう思いながらキュルケが横目でタバサを見る。いつも変わらない無表情。だがその目は真剣な様子である。 意見は同じみたいね。キュルケはそう判断すると、真ん中にいるルイズを見て、微笑を浮かべた。 ――さあ、私のライバルに相応しいかどうか。ここが正念場よ、ルイズ―― 「じゃあ、とっとと終わらせるとしようか。行け!ワルキューレ!」 ギーシュが杖を振った。途端、ただ立っていただけの青銅の像は、意思を持ったかの横に動き出した。軽く人間の全速力ぐらいはあるスピードで、一直線にルイズの元へ向かって行く。 同時に呪文を唱え終わったルイズが杖を振った。 「無駄さ!君の魔法は、てんで的はず……れ……?」 ギーシュの軽口は最後まで続かなかった。ルイズの失敗魔法による爆発は、ギーシュのゴーレムの上半身を正確に破壊していたのだ。 足だけのガラクタとなった像は、よろよろとバランスを崩すと、派手な金属音を立てて地面に倒れ込んだ。 『…………』 ヴェストリの広場が妙な静寂に包まれた。つい先程には思いもしなかった光景に、何度も目を擦る者までいる。 「おい……今のって……」 「ああ、ギーシュのゴーレムが一撃……だったよな?」 「嘘だろ?あの……『ゼロ』が!?」 周りがひそひそと囁き始めた。それを聞いたギーシュが、はっ、と我を取り戻す。 「は……はは……偶然ってのは恐ろしいね。何万分の一くらいの幸運が、たまたま舞い込んだって訳かい?」 若干引きつった顔で笑いながら、ギーシュは再度、ワルキューレを錬成した。 「ま、まあそれもここまでさ。奇跡は二度も起こりやしない。今度こそ……終わりさ!」 ギーシュが再びワルキューレを向かわせる。だが―― 「な、何だってええええ!!」 悲鳴に近い声をギーシュは上げた。ルイズが唱えた魔法は、またしてもワルキューレを正確に撃ち抜いたのだ。 ――いけるわ!これなら!―― 周りから続々と驚きの声が上がる中、静かにルイズは確信した。食堂を出てからのハドラーとのやり取りを思い出す―― ハドラーの後を追ってルイズが向かった先は、ヴェストリの広場とは反対方向にある中庭だった。普段なら、大勢の生徒達の憩いの場となっている筈だが、今日に限っては誰もいない。皆決闘騒ぎで出払っているのは明白だった。 「では主よ。あれに魔法を当ててみよ」 立ち止まったハドラーが指差した先には、少し大きめの石が転がっていた。距離的にはわずか10歩程である。『ファイヤー・ボール』の魔法なら目をつむっていても命中するだろう。そう思いながらルイズは集中を始めた。 「ファイヤー・ボール!」 呪文が完成し、ルイズは高らかに叫ぶ。当然の様に失敗だった。火球はおろか、てんで見当違いの所で爆発が起きる。 ムキになったルイズは何度も繰り返すが、石には全く当たらず、周りの地面にクレーターを作るだけであった。 「だめよ……やっぱり成功しないじゃない……」 ルイズがぺたんと尻を着く。だがハドラーは何一つ動じない顔で、ルイズに告げた。 「次だ。主よ。今度はあの石を『爆発』させてみよ」 「……爆発?」 妙な事を言い出したハドラーに思わずルイズが聞き返す。 「そう。爆発だ。呪文は何でもいい。だが、ただひたすらあの石を破壊する事をイメージするのだ」 再度立ち上がったルイズが、ハドラーに言われた通り集中する。 ――爆発……爆発……あの石を……破壊する!―― ルイズが魔法を唱えた。すると―― 「あ……当たった!?当たったわ!」 粉々になった石を見て、摩訶不思議、と言った顔のルイズにハドラーは、やはり、と納得の表情を見せた。 「どういう事なのハドラー!?説明して!」 ルイズが息せき切って問い掛け始める。目を閉じたハドラーは、たっぷり間を置くと、重々しい様子で口を開いた。 「……爆発は魔法の失敗に依るものなどでは無い。あの爆発こそが主の魔法なのだ」 「爆発の……魔法ですって!?」 「そう、主のそれはれっきとした『攻撃魔法』だ。それに気付いたのは昨日。契約での戦いの時だがな」 ハドラーの手が自身の胸の傷に触れる。昨日の戦いでルイズの攻撃を受けた箇所だ。 「あの時、興味を引かれた俺は、主の魔法をずっと観察していた。最初は威力も距離もばらばらな、不安定な魔法だと思ったが……時間が経つに連れ、ある共通点を見出だしたのだ」 「共通点?」 おうむ返しに聞いたルイズにハドラーが頷く。 「うむ。それは、『自らの身が危機に晒された時に限り魔法が命中する』という事だ。思い出して見るがいい……俺に爆発を当てたのはどの様な時だったか。俺が両手を広げ、一気にケリを着けようとした時では無かったか?」 淡々としたハドラーの口調。ルイズがはっとした顔をする。確かにその通りだった。 「俺に一撃を当てた時、ピンチを切り抜けようとした時、主はこう思っていたのではないか?『何でもいいから爆発しろ!』とな」 「……そう!そうよ!確かに思っていたわ!!」 「……主の爆発がどの系統とやらに含まれるのかは分からん。だが主の得意な魔法は『爆発』である事に間違いはないだろう」 ルイズの心臓が跳ねた。まさか、と思いに、震えながら声を上げる。 「じゃ……じゃあ……今まで魔法が……ううん、爆発がコントロールできなかったのって……」 「そうだ。主が爆発を忌み嫌い、否定して来たからだ。魔法は集中力。雑念があっては本来の効果は望むべくもない。……主が魔法を唱える度に思ったであろう成功のイメージ。それこそが雑念の正体だ」 ルイズが足先から崩れ落ちた。 ハドラーの言葉に、ルイズは今までの事を思い出す。『ファイヤー・ボール』を唱えようとした時は杖から火の球が生まれるのを想像していた……。『錬金』を唱えようとした時は、目の前の石を金属に変える事をイメージしていた……。 全てハドラーの言う通りだった。何もかもその通りだった。倒れた姿勢のままのルイズが、乾いた笑いを上げる。 「は……あはは……そ、それって……全部無駄だったって事じゃない……今までやってきた事……何もかも……みんな」 悲痛な、搾り出す様な声で、ルイズが静かに絶望する。 朝から晩まで数え切れない程魔法を唱えた事もあった。魔法理論の本を何ヶ月もかけて丸暗記した事もあった。 追い掛けても追い掛けても、得られなかった。それでも、諦め切れなかった。努力さえすれば、いつかきっと、報われる。周りに責められる度、嘲笑される度に、そう自分に言い聞かせ、寝る間も惜しんで研鑽に励んだ。 だが、それらの全てが、今、無駄だと解かったのだ。答えはスタート地点にあった。自分がやって来た事は、その真実から遠ざかるだけのものだったのだ。 「……何でなのよ」 突然――ルイズが立ち上がった。その顔は幽鬼さながらである。すっかり血色を失った手で、震えながら杖をとると、その先端をゆっくり、ハドラーに向けた。 「何でそんな事、私に言ったの……。答えてよ」 搾り出す様な声。それでもハドラーは答えない。その態度にルイズがカチンと来た。 「答えなさいって言ってるでしょう!」 激昂したルイズが、叩き付ける様に杖を振る。爆音が響き、ハドラーの兜が粉々になった。 「あ……」 剥き出しになったハドラーの顔を見て、我に返ったルイズが青冷めた表情になった。身体中から力が抜け、杖が頼りなく地面に零れ落ちる。 「ごめ……んなさい……ごめんなさい……」 謝罪の言葉を繰り返すルイズの目から、つ、と涙が糸を引いた。足が鉛になったかの様に、その身体が再度、頼りなく地面に付く。 そのまま、しばらく動かなかったルイズだったが、やがて、ぽつりと言った。 「……本当はね、薄々気付いていたの。もしかして自分は、爆発しか使えないんじゃないか……ってね」 ルイズがハドラーの方を向く。先程とは打って変わり、嵐が過ぎ去った後の様な、静かな表情だった。 「知ってる?自分の得意な系統の呪文を唱えた時って、体の中に何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするんだって。そのリズムが最高潮に達したとき、呪文は完成するんだって言われているわ」 言って、にっこりと微笑む。感情の感じられない、空虚な笑いだった。 「私にはそれが無かった。けれど、今まででも爆発が起こった時、ごく稀に、何かを感じた時があったの……。嬉しかったわ。次こそは成功するに違いないって。本気でそう信じては……裏切られた」 「たまたま、爆発が成功していたという訳か……」 ハドラーが冷静に推察する。ルイズは黙って首肯した。 「今思えばそうだったのね……。あの時の感じ、さっき石を破壊した時と、同じだったわ。ほんの少しだけ何かが沸き上がって消える……そんな感覚」 「だがその感覚に疑問を覚えた……」 「そう。でも……決して認めようとはしなかったわ。自分が人と違うだなんて思いたくなかったし、何より……『ゼロ』を受け入れたく無かった」 笑みを浮かべたまま。ルイズは言った。死神が死を告げる様な声だった。 「でも、それも、昨日で終わり。……今日からは、めでたく『ゼロ』のルイズを拝命しなくっちゃ、ね」 あはは、と軽く笑った後、再び俯いたルイズが、突然歩き始めた。今にも消え入りそうな、頼りない足取りで、ハドラーの元に到着すると、しがみつく様にハドラーのローブをきつく、きつく掴む。それっきり、またも動かなくなったルイズだったが。 「う……」 ぽたり、とハドラーのローブに、何かが落ちる。……ルイズの、涙だった。 「う……あ……うぁ、うわああああああああんんん」 ハドラーが静かに視線を外す。それを機にしゃくり上げたルイズは、ただひたすら、赤子の様な泣き声を上げ続けた。 「落ち着いた様だな」 「……うん」 10年分は泣いたのではないかという程、涙を流し尽くしたルイズは、ようやく顔を上げた。同時に、自分が今握り締めている物の存在に気が付く。 「ご、ごめんなさい!」 顔を真っ赤にしたルイズが慌ててローブから手を離した。涙で濡れた裾を大して気にする様子も無く、ハドラーが問いかける。 「よい……。それより、どうするのだ?」 「……決闘は、受けるわ」 それだけ言うとルイズは黙ってしまった。決闘は当然受ける。ギーシュのやった事は許せないし。あのメイドの娘との約束もある。ここで逃げる事は、自分の中にある『誇り』が許さない。 ――だけど――と、ルイズは繋げる。自分が最も腹を立てた理由。肝心の、『ゼロ』の汚名を晴らすという事は、できなくなってしまった。――何より、自分自身で、認めてしまった……。 決闘に勝っても、負けても、自分には『ゼロ』の名は付いて回る。なら、結果は同じ事ではないのか? そんな、投げやりな思いでルイズが立ち尽くす。すると、ハドラーが静かに口を開いた。 「少し、俺の話をしよう」 え?とルイズは顔を上げた。出会ってまだ1日しか経っていないが、この男は自分の事を話す様なタイプではないと思っていたからである。 ルイズが黙って聞く体勢になると、おもむろにハドラーは切り出した。 「俺が別の世界から来た事は昨日話したな?……かつての俺は、人間達と敵対していた。魔界の王バーンの配下の一員として、世界を支配しようと目論んでいたのだ」 さらりと、とんでも無い事を言い出したハドラーに、ルイズは呆気に取られた。突拍子も無い話だったが、実際ハドラーの威厳や実力を前にしては、本当にも思えて来る。 「……あの頃の俺は、人間など取るに足らないものだと思っていた。だが、奴らの存在が、俺の考えを覆す事になる」 「奴ら?」 「教室で話した連中の事だ。奴らは俺が倒した、ある人間の弟子達だったのだ。仇討ち、使命感……様々な感情が、ひ弱だった奴らを確実に強くしていった。人間達への驕りや慢心が色濃くあった俺は、戦う度に敗北を重ねたよ」 話を聞きながらルイズは不思議に思う。敗北・驕り……ハドラーの話す内容は、自身の汚点だった。それなのに、なぜそんな穏やかな顔をしているのか? ルイズの胸中をよそに、ハドラーは続きを話し始めた。 「そして、いよいよ後が無くなった俺は、自らの保身の為に、最後の手段をとった」 「最後の……手段?」 聞き返すルイズに、ハドラーは自嘲の笑みを浮かべた。 「暗殺、だ。強敵との戦いで消耗し切っていた奴らを毒で眠らせ、一人ずつ消そうとした」 「!?」 ルイズの顔が驚きに変わる。勇猛を絵に描いた様なこの男が、そんな真似をしたのか?と。 「だがその時、奴らの一人である魔法使いの男が俺の前に立ちはだかったのだ。……奴は俺を卑怯者呼ばわりするとこう言ったよ。『男の戦いには勝ち負けより大事なものがある』……と」 「大事な……もの?」 引っ掛かる言葉に、ついルイズが繰り返した。 「結局、邪魔が入った事で暗殺は失敗したが……。悔しかった。負けた事もそうだが、何より、奴の言葉通り外道に成り下がった自分が許せなかったのだ。そして、俺は決心した。奴らを倒す為に全てを捨て去る事を。地位も、誇りも、自らの身体さえも、だ」 「じゃあ……その身体って……」 ハドラーが頷いた。 「そうだ。この身を化け物に変える事すら、俺は厭わなかったのだ。全てはもう一度、奴らと同じ舞台に立つ為に。……そして俺は、最後の戦いを挑んだ。全てを賭けた、正々堂々、一対一の勝負だった」 「そ……それで、どうなったの?」 喉を鳴らしたルイズが緊張した様子で尋ねる。ニヤリと笑った後、ハドラーは告げた。 「俺の負けだった。完璧にな。だが……不思議と悔しさは無かった。あったのは全力を出し切った満足感だ。俺はようやく実感したよ『勝ち負けより大事なもの』をな。そして――」 「自分の手で、汚してしまったものを、再び取り戻す事が出来た……のよね?」 何となく、続きが分かった気がしたルイズが、そう締め括ると、ハドラーは満足気に頷いた。 「話は終わりだ。……俺は、決して万能では無い。この身を化け物に変え、守り抜いた物と言えば、それだけだ……。だが!」 ハドラーは力強く言い切った。 「後悔はない。ほんのわずかな時間ではあったが、俺は納得できた。最後の最後で、あの魔法使いの男にも、認めさせる事ができたからな」 力強く言い切ったハドラーの言葉に、ルイズはゆっくり見上げた。その顔は陽に照らされて良く見えなかったものの、おそらく笑っているのだろう。 ――眩しい―― ルイズは、心でそう洩らした。照らされた光は、まさにこの使い魔の生き様を表した様である。 失ったものがあるのはハドラーも同じだった。だがこの男は、全てを捨ててまで、誇りの為に戦い抜いた。 それに比べて自分はどうだ?『ゼロ』と呼ばれる事を恐れ、前に進む事を諦めかけようとしている。 ルイズが拳を握った。そう。誇りを持って生きてきたのは自分も同じだ。なら、こんな所で立ち止まる訳にはいかない。この男に負ける訳にはいかない。――自分はこの男の主なのだから。 ハドラーに背中を見せて歩き出したルイズが、地面に落ちた杖を拾い上げる。それが意味すべき事は一つだった。 「……答えは出た様だな」 ルイズが首を縦に振った。 「……私は、この力を受け入れる。決闘に勝てるかどうかは分からないけど、それでも、認めさせてやるわ。『ゼロ』の名と力を!魔法が使える事が貴族と言うのなら、私のこれも、また魔法なんだ!……ってね」 振り向いたルイズの目を見たハドラーが、思わず歓喜に奮える。 「ふふっ……。そんな目をするな。つい、身体が疼いてしまう」 そんなハドラーの言葉にルイズは困った様にため息を出す。それはいつものやり取りであった 「……あんたを従える事に比べたら、決闘に勝つ事の方がよっぽど楽に思えるわ」 ふっと笑みを洩らしたルイズにハドラーは返す。 「心配するな。主は必ず勝つ」 「どうしてそういい切れるのかしら?」 自信満々のハドラーに、思わずルイズが聞いた。 「メイジの実力を計るには使い魔を見ろ……。誰かがそう話していた。それが本当なら、負ける道理は見当たらん」 「あ……」 「俺を召喚した事、それ自体が主の力の証だ。自信を持って、それを誇りにすればいい。……俺を『偽者』に召喚された道化にしてくれるな」 「だから、何であんたはそうプレッシャーを与える事ばかり言うのよ!」 ルイズが叫んだ。これでは何が何でも負けられないではないか。 うぐぐ、と奇妙な呻き声を上げるルイズに、ハドラーは小さく笑った。自分の予想通り、この少女は挫折を乗り越えた。諦めない強さこそ、自分が最も恐れ、尊敬した人間の力だ。そして、自分の主はそれを持っている。 「アバンがいたなら、弟子にしていたかもな」 「何か言った?」 その呟きはルイズに聞こえていたらしい。ハドラーは「独り言だ」と軽く返した。 ――ふふ……成長する事を期待しているぞ、ルイズ。もっとも、俺はアバンほど、優しくは無いがな―― 先程のルイズの顔を思い出したハドラーが、静かに拳を握った。 前ページ次ページ虚無と爆炎の使い魔
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前ページ次ページゼロの剣士 #1 「お前が土くれのフーケだったのか」 眼鏡を外し、ナイフを握ったロングビルにヒュンケルがそう言った。 人質に取られたルイズは恐怖よりも混乱が先立ち、目を白黒させている。 ロングビルは盾に取ったルイズの肩越しにヒュンケルを注意深く見つめつつ、笑みをこぼした。 これまで見せてきた上品なものではなく、猛禽類のように凶暴で、それでいてどこか妖絶な女の笑みだ。 「そう、私が『土くれのフーケ』よ。さあ、この娘の命が惜しければ全員武器を捨てな。 ちょっとでも怪しい動きを見せたらこいつの命はないよ? 」 杖を失ったメイジは無力だが、それは剣を失ったガンダ―ルヴも同じだろう。 キュルケとタバサは目を見合わせ、次いで同時にヒュンケルの方を見た。 ヒュンケルは隙を窺うようにフーケを注視していたが、やがて無造作に剣を遠くに放った。 キュルケ達もそれを見ると観念したのか、自分達も杖を手放す。 満足げに鼻を鳴らすフーケに、抑えつけられたルイズが少し声を震わせながら尋ねた。 ちなみにこっちの方はとっくのとうに、力ずくで杖を奪われていた。 「それで、ど、どういうつもりなのよ。あんたがフーケなら、どうしてこんなとこにわたし達を誘いだしたの?」 そう、土くれのフーケがここに潜伏していると情報を出したのはロングビル――当のフーケ本人だった。 一体なんのつもりで追っ手をわざわざおびき出し、どうぞとばかりに『悟りの書』を放置していたのか。 人質として囚われた小娘としては随分まともな問いに、フーケは口笛を吹いて感心してみせた。 フーケの腕の中で、かえって馬鹿にされたような気になったルイズが顔を赤らめた。 「別にあんた達を誘った覚えはないんだけどね、まあいいさ。 あんた、あの使い魔から『悟りの書』を受け取っただろう? 早く出しな」 「い、嫌よ、出さないわ――ひッ!」 拒んだルイズの頬の上で、フーケがナイフを滑らせた。 傷こそつかなかったが、冷たく鋭い感触を覚えてルイズは悲鳴を上げる。 ルイズは思いきり目をつむったが、そこで不思議に穏やかな声がルイズを呼んだ。 目を開けると、ヒュンケルがルイズに向かって頷きかけた。 「ルイズ、『悟りの書』を出すんだ」 ヒュンケルの言葉にも躊躇ったが、フーケがまたナイフをちらつかし、ルイズは震える手で『悟りの書』を取り出した。 そのまま後ろ手でフーケに本を渡そうとするが、何故か彼女は受け取らない。 本をよこせという意味ではないのか。 ルイズが目に疑問を浮かべると、フーケは忌々しげに答えた。 「さっきの質問、何故あんた達を誘い出したかだったね。あんた達もこの本の噂を知っているだろう? 正しく読む者は悟りを開く……不届き者が読むと呪われる……選ばれし者にしか読めない……そんな噂を?」 「だからそれがどうしたってのよ?」 苛立たしげにキュルケが聞いたが、その答えはフーケではなく、キュルケのすぐ隣の少女が答えた。 タバサが、眼鏡を直して言った。 「……つまり、フーケには悟りの書が本物かどうか分からなかったということ」 タバサの言葉に、フーケはフンと鼻を鳴らした。 そして口をポカンと開けるルイズとキュルケに言い含めるように教えた。 「そっちのお嬢ちゃんの言う通り。私としたことがウッカリしていたのさ。 正しい手順で読むか、選ばれし者が読むかしないと本の効果は現れない。 効果が出ないんじゃ、これが本物かどうかも分からない。 教師達の様子から偽物ではないと思ったけど、使い方が分かんないんじゃどうもね」 フーケの言葉にルイズ達は呆れたが、それで彼女の狙いは分かった。 おそらくフーケは、本当はオスマンや学院の教師など、『悟りの書』の秘密を知っていそうな人を誘い出したかったのだ。 そしてロングビルの顔をして隙をつき、脅すかどうかして秘密を聞き出したら改めて逃げる。 そんな計画だったに違いない。 ルイズは自分が捜索隊に名乗り出たことでフーケの計画を挫けたのだと思って溜飲を下げたが、 何故かフーケは微塵も焦りを感じさせない顔で言葉を続けた。 「持ち主が危機に陥った時に発現するタイプのものかと思ったが、どうも当てが外れたようだね。 だけど、そこの使い魔の戦いぶりを見て確信したよ。ガンダ―ルヴを召喚したあんたにならその本を読む資格があるってね!」 「ガ、ガンダ―ルヴ……?」 目を丸くしてヒュンケルを見るルイズに、フーケは「さあ本を開きな!」とナイフを突きつけた。 フーケは何故か、ルイズが読めば『悟りの書』の謎が解けると思っているらしい。 不安そうな顔をするキュルケ達の前で、ルイズはわけもわからぬまま両手に抱えた本を見つめた。 もしかしたら噂の通り、読んだら呪いを受けるのではないかと思って手が震えた。 ルイズはゆっくりと本を開くと、ついに学院の至宝――『悟りの書』の秘密を目の当たりにした。 「こ、これが『悟りの書』……!?」 一瞬ルイズは、それがなんなのか理解できなかった。 呆けたようにその『絵』をじっと見つめること十秒後、 ルイズは突然顔を真っ赤にし、両手で目をふさいでうずくまろうとした。 ルイズの手から、『悟りの書』がこぼれて地面に落ちる。 キュルケ達は慌ててルイズに走り寄ろうとしたが、興奮したフーケの声に遮られた。 「近づくんじゃないよ! さあ、どうだい? 『悟りの書』の効果は? これはどうやって使うんだい!?」 「つ、使い方って言ったって……」 ルイズは体をブルブル言わせたままそこで言葉を切った。 そして固唾を呑んで見守るキュルケ達とフーケに応えて、耐えかねたように叫んだ。 「これ……これ……ただのエロ本じゃないの!!!!」 「エ、エロ本!?」 ルイズの突飛な発言に驚いたキュルケ達は、咄嗟に地面に落ちた『悟りの書』に視線を落とした。 ルイズが落としたその本は開いたままで――そこにはめくるめく桃色の世界が映し出されていた。 具体的に言えば僧侶の姿をした女性が――いや、よそう。 ともかく、うら若き乙女が目にするにはあまりに刺激が強すぎる代物だ。 エロ本……アダルト……春画……18禁……。 そんな言葉が頭の中を駆け巡り、とりあえずキュルケはタバサの目を手でふさいだ。 タバサは本を目にした瞬間に思考停止したのか、顔を真っ赤にしたままされるがままになっている。 「フーケ、この本の使い道を知りたいなんて――あなたって意外とウブなのかしら?」 寒々しい沈黙の後、比較的早く回復したキュルケがそう言った。 しかし当然のことながら、フーケの質問の意図はそんなものではない。 二十代前半独身の盗賊は、計算違いの動揺と怒りに頬を染めてかぶりを振った。 「そ、そんなわけあるかい! お前たちだってこの本に魔力を感じるだろう? この本がただのエロ本なはずがない! そうだガンダ―ルヴ、あんたはオスマンと何か話してたね? あいつから本の正しい見方を聞いたんじゃないか!?」 たしかにフーケの言うとおり、キュルケも『悟りの書』からは不思議な魔力を感じた。 『エロ本』という姿は『悟りの書』の真の姿を隠すカモフラージュ。 そう思い込んでも仕方ない力を感じた。 そしてルイズが読めば、そのかりそめの姿が剥ぎとられると何故か確信していたフーケは、 ひどく動揺した様子で手にしたナイフをヒュンケルに向けた。 再び緊張が高まり、ヒュンケルが躊躇った様子で口を開きかけたが――まったく別のところから返事は届いた。 『そんなものありゃあせん。それは単なるエロ本じゃよ。エロ本』 「オ、オールド・オスマン……!?」 声の主は学院の長、オールド・オスマン。 声がしたのはフーケのすぐ近く――股の下だ。 フーケが仰天して足元を覗きこんでみると、そこには一匹のハツカネズミがいた。 オスマンの使い魔の、モ―トソグニルがいた。 その背中に括りつけられた小さな人形から、再びオスマンの声が漏れ聞こえる。 『やっぱり君は白より黒が似合うのう、ミス・ロングビル?』 その瞬間、フーケの注意は完全にルイズ達から逸れていた。 ルイズは思いきりフーケの足を踏んづけると、彼女の腕からもがれ出た。 フーケは咄嗟にナイフを振り上げ、ルイズを攻撃しようとしたが――すんでのところでその腕は止められる。 何か強靭な糸で縛りつけられたかのように、体の自由が利かない。 自分を拘束する力の源を見て、フーケは思わず悲鳴を上げた。 丸腰のヒュンケルの腕から、何か黒い霧のようなものが湧き出して、フーケの体にまとわりついていた。 「せ、先住魔法……!?」 ハルケギニアには杖を媒介とするメイジの魔法とは別に、先住魔法と呼ばれるものがある。 フーケの目に、精霊の強力な魔法を行使するエルフの姿が、ヒュンケルのそれと重なった。 しかし普通の人間の耳をしたヒュンケルは、これは魔法ではないと言うと、氷のように冷徹な瞳でフーケを睨んだ。 「闘魔傀儡掌。練り上げられた暗黒闘気は糸となり、敵の動きを封じる。 あまり使いたい技ではないが――躊躇っている場合でもあるまい」 そしてヒュンケルは、フーケに向けた手の中指をクイっと動かした。 するとナイフを持ったフーケの腕が、意思に反してありえない方向に曲がろうとする。 フーケは耐えがたい痛みに必死に抗いながら、今度こそ己の認識の甘さを後悔した。 剣を失ったガンダ―ルヴ――ヒュンケルを、杖を失ったメイジと同列に見ていた自分を心底呪った。 ヒュンケルがもう一度指を動かした時、固く握りしめていたフーケの手がぎこちなく開いた。 その手に握られていたナイフが、ぽとりと地面に落ちた。 #2 「それで――説明していただけますかしら、オールド・オスマン?」 ルイズ達の視線の先、机に座ったオールド・オスマンが重々しく頷いた。 ここはトリステイン魔法学院・学院長室。 フーケを捕らえた一行は衛兵にその身柄を渡すと、まっすぐこの部屋にやってきた。 オスマンの机の上には例の『悟りの書』が鎮座しており、 ルイズ達は努めてそれを見ぬよう老メイジの顔の皺に意識を集中させた。 オスマンは傷でもないか確かめるように『悟りの書』を撫でながら、四人に質問を返した。 「それで、何から話せばよいかな? 君達の方から質問してくれると助かるんじゃが」 オスマンの言葉に、ルイズ達は顔を見合わせた。 正直言って、聞きたいことが多すぎる。 ルイズ達は考えをまとめるためにしばらく愚図愚図していたが、やがてルイズがオスマンに質問を始めた。 「あの――それ、本当にその本が『悟りの書』なんですか?」 ルイズはそう言って、忌々しそうに机の上に置かれた本を指さした。 あの時見た衝撃の映像は未だ頭を離れない。 これが学院の秘宝だなんて嘘ではないか? 半ば祈るような気持ちでルイズは言ったが、オスマンはコイツは何を言ってるのだという顔つきで首をかしげた。 「もちろんそうじゃとも。これは紛れもなく学院の秘宝『悟りの書』じゃ。取り返してくれて感謝しとるぞ」 さも当たり前のごとく言うオスマンを見てルイズはくじけかけたが、そこで選手交代。 今度はキュルケが慎重に言葉を選びながら質問を続けた。 「でもそれなんていうか……ただの春画じゃありません?」 キュルケが言うと、オスマンはとんでもないとばかりにかぶりを振った。 ただの春画なわけがなかろうという憤慨の声を聞き、ルイズ達の胸は希望にまたたいた。 ああ、やっぱりフーケは正しかったのね。 わたし達が命懸けで取り返したものがただのエロ本なはずないのよと、ルイズ達は帰ってきて初めて達成感を味わった。 しかし直後のオスマンの言葉は、そんな幻想を壊して余りある破壊力を持っていた。 「これが『ただの』春画じゃと!? 見たまえ、このリアルな質感、色遣い、淫靡なオーラ!これほど見事な絵は見たことがない! これこそまさに二次元に舞い降りし天使の書! バイブルじゃ!何人の紳士がこれを欲したことか――」 『悟りの書』をふりかざして力説しはじめたオスマンは、そこで言葉を止めた。 室内にはしら~っとした空気が流れており、オスマンは孤立無援の果てしない寂しさを覚えた。 コルベール辺りでも同席させればよかったと後悔したが、後の祭りである。 オスマンは同性のよしみで助けを乞うようにヒュンケルを見つめたが、彼は処置なしという風に目を閉じていた。 「う、うむ、君達にはなにか褒美を――」 「じゃあミスタ・ギト―の言っていた女性云々っていうのは、そういうことでしたの? 男性教師達はこれがただの春画だと知っているから、命を賭けてまで盗んだりはしないと?」 ご機嫌を取るように言いかけたオスマンの言葉を、キュルケが遮った。 意識的か無意識的か、キュルケは杖を握って、それで誰かを丸焼きにしたそうな顔をしていた。 見れば、隣りのルイズもいつのまにか杖を取り出して、今にも魔法の実践練習を始めようとしている。 オスマンは冷や汗をかきながら頷いた。 「う、うむ。そういうことじゃろう。 ワシもさすがに女性には見せておらんかったし、彼らも女性には口外せんかったろう。す、少しばかりハードな内容じゃからな」 「それじゃ、選ばれし者にしか読めないとか、呪いを受けるとかいう噂は?」 「それはあれじゃ。この本があまりに魅惑的なもんで、学業を疎かにするもんが続出してな、 こいつなら大丈夫と思った者にしか見せないことにしたんじゃ。 かのモット伯などはのめりこみすぎてしもうて、未だにこういった本の収集に私財を投じているようだしのう」 しかたのないヤツじゃと溜め息をついたオスマンに反論したいのをグッと堪えて、ルイズは達は質問を続けた。 「この本は何か魔力がこめられているようだけど?」 もはやタメ口が自然になっていたが、今のオスマンに文句が言えるはずもない。 オスマンは一つ頷くと、自身もその正体は分かっていないのだと白状した。 「しかしな、道を踏み外す者が続出する一方で、この本を読んでからグイッと実力が上がった者も沢山いたんじゃ。 もしかしたらこの本から感じる不思議な力がそうさせているのかもしれんな」 オスマンはそう言うと、まだ質問はあるかと首をかしげた。 ルイズ達はまた顔を見合わせると、最後に一つだけ問いかけた。 「あのネズミの使い魔はどうやってあそこまで? 学院長はロングビルがフーケだと御存じでしたの?」 オスマンはその質問を聞くと頭を掻いて、ちらりとヒュンケルの顔を見た。 意味ありげなその仕草にルイズ達が疑問を浮かべると、閉じていた目を開いてヒュンケルが答えた。 「あのネズミを連れてきたのは俺だ。出発前にオールド・オスマンに頼まれてな、懐に入れてきたのだ」 ヒュンケルの言葉を聞いて、ルイズは森に到着した時にヒュンケルが何かしゃがみこんでいたことを思い出した。 おそらくあの時にヒュンケルは、懐に入れていたモ―トソグニルを森に放していたのに違いない。 ヒュンケルは窓の外を見るともなしに眺めながら説明を続けた。 「オールド・オスマンはネズミを俺に渡しながらこう言った。 『危険を感じたら逃げてもいい。最低限、フーケの正体だけでも自分の方で掴むから』とな」 「――内部の者が手引きしたとは思っておったが、それが誰かまでは分からなかったんじゃ。 ミスタ・ギト―はああ言っておったが、実際のとこはどうだか断言できんかったしな。 まさかミス・ロングビルがそうだとはワシも思っておらんかった」 スタイルのいい優秀な秘書だったのにのうと嘆くオスマンに、一同は冷ややかな視線を送った。 オスマンはコホンと咳をつくと、居住まいを正してルイズ達に告げた。 「ともあれ、諸君の活躍には報いねばならん。 ミス・ヴァリエールとミス・ツェルプスト―にはシュヴァリエの、ミス・タバサには精霊勲章の申請をしておこう」 ルイズとキュルケはその言葉に歓声を上げた。 シュヴァリエとは武勲に対して贈られる爵位。 純粋に実力と功績を認められた証だ。 タバサは何故かこの称号を既に持っていたようだが、学生の身でこれを得るのは並大抵ではない。 『ゼロ』と蔑まされてきたルイズは感激に目を潤ませたが、そこで何かに気付いて顔を曇らした。 オスマンの言う恩賞の中に、ヒュンケルの名が入っていないのだ。 「オールド・オスマン。ヒュンケルには恩賞はないんですか?」 ルイズが聞くと、オスマンは申し訳なさそうに首を横に振った。 例え申請しても、平民のヒュンケルが爵位を受けるのは難しいだろうとオスマンは言った。 ルイズやキュルケは納得がいかなくて口をとがらせたが、当のヒュンケル自身が宥めることで落ち着いた。 「まあ代わりと言ってはなんじゃが、わしが一個人としてお礼を差し上げよう。 さて、今夜はフリッグの舞踏会じゃ。今宵は食って踊って、心身共に疲れを癒すがよい」 オスマンが言うと、ちょうど誰かのお腹がぐうっと鳴った。 音の出所を見ると、それまで黙っていたタバサが少し頬を赤らめ、「空腹」とつぶやいた。 普段無表情な彼女の意外な顔にルイズ達は吹き出し、意気揚々とパーティーの準備に出ていこうとする。 しかしそこで再びオスマンが、思い出したように一同に声をかけた。 「すまんがミスタ・ヒュンケル。君はちょっと残ってくれんか?」 部屋の扉にさしかかっていたルイズ達は怪訝そうに振り返り、オスマンの顔を見た。 ちょっとだけと手を合わせるオスマンは、相変わらずただの気さくな老人のようだったが、その目は真剣味を帯びている。 ヒュンケルはルイズ達に先に行くよう伝えると扉を閉め、オスマンと向き合った。 オスマンは両手を組んでヒュンケルを見ていたが、やがて真面目な顔をして口を開いた。 「今日は御苦労じゃったなヒュンケル君。 フーケを捕らえたことはもちろん、生徒達を守ってくれたことに本当に感謝しておるよ」 そう言って頭を下げるオスマンを、ヒュンケルは口を閉ざしたまま見つめた。 ただ礼を言うためだけにオスマンが自分を呼びとめたとは思えなかったからだ。 「話しとはなんですか、オールド・オスマン?」 「うむ、君も疲れているじゃろうから用件は早く済ませたいが、その前に……ほれ!」 「……きゃっ!」 オスマンが杖を振ると部屋の扉がひとりでに開き、可愛らしい悲鳴と共にルイズが部屋になだれ込んだ。 ルイズはヒュンケルのことがどうにも気になって、ドアごしに聞き耳を立てていたのだ。 床に転んだルイズは鼻を赤くして立ち上がり、ヒュンケルとオスマンの顔を見てしどろもどろに言い訳をした。 しかしオスマンは狼狽するルイズを叱るでもなく、優しく椅子を勧めて言った。 「まあそんなに慌てんでもいい、ミス・ヴァリエール。 メイジと使い魔は一心同体と普段言っておるのはわしじゃからな、君をさしおいて内緒話をしようとはこっちも悪かった」 オスマンが宥めると、ルイズは決まり悪げにうつむいた。 ルイズはどうしてオスマンがこうもヒュンケルを特別視しているのか知りたかったのだが、 さすがに盗み聞きは貴族のすることではなかったと改めて恥じ入った。 そろりと窺うようにヒュンケルを見ると、彼もルイズがここにいてもいいと頷いた。 「それで本題じゃがヒュンケル君。先に言ったように君には公的に何の褒賞もあげられん。 そこで君にはわし個人のお礼として、これを読む権利をさしあげよう」 言うとオスマンは、一冊の本を差し出した。 ついさきほど話題に上がった問題の本、『悟りの書』だ。 白い目で見てくるルイズを気にしつつ、ヒュンケルはオスマンの申し出を断った。 「せっかくですが俺は……代わりにギーシュにでも見せてやってください」 「おお、たしかにミスタ・グラモンにも滋養のために見せんとのう。しかしそれとこれとは別じゃ。一目でも見るがよい」 ヒュンケルはここにいないギーシュに押し付けようとしたが、オスマンは意外な強さで粘った。 困惑したようにヒュンケルがその目を見てみると、いつぞやのようにその眼光は鋭い。 どうやら、冗談や酔狂で言ってるわけではなさそうだった。 ちょっと本当に見るの、と抗議するルイズの声を尻目に、ヒュンケルはゆっくり『悟りの書』に手を掛けた。 「痴の章――192ページを見るがよい」 早くも自分の判断に疑問を抱きながら、ヒュンケルは言われた通りのページを開いた。 そしてそれを見たとたん、目を見開いて驚きの表情を浮かべた。 ルイズはヒュンケルが驚いたことに逆に驚き、どんな絵が描かれているのかしらと内心妄想をたくましくした。 しかしオスマンはルイズとは対照的に、どこか悟ったような顔でヒュンケルに語りかけた。 「やはり君には読めるのか、その『文字』を。なんて書かれておるのじゃ、そこには?」 「『マリリンの日記 ○月×日 今日もあの人は来ないの……? あたしはまたひとりさみしく……』」 「ちょ、ちょっと待ちなさいヒュンケル!なに素直に読んでんのよ!」 どうやら『悟りの書』には絵だけでなく、官能小説もついているらしい。 呆然としたまま素直に音読するヒュンケルの腕から、ルイズは思わず『悟りの書』を奪い取った。 もちろんヒュンケルより先に本を読みたかったからではなかったが、 ルイズはなんとなく、なんとなくチラチラとそこを見てから、整った眉をひそめた。 そこに書かれている言語は、勉強熱心なルイズでも見たことのないものだったのだ。 「ヒュンケル、あんた何でこんなの読めるのよ? 普通の文字だって読めないって言ってたじゃない」 ルイズが聞くと、ヒュンケルはばつが悪そうに視線をそらした。 ほほう、まだ言ってなかったのかとオスマンが髭をひねり、ヒュンケルに代わって答えを寄越した。 「それはのう、ミス・ヴァリエール。彼がこの本と同じ世界から来たからじゃよ」 「同じ世界?」 奇妙な言葉にルイズが首をかしげると、オスマンはそうじゃと言って頷いた。 「彼もこの本もきっと異世界――ハルケギニアの外の世界から来たんじゃよ」 「い、いせかい?」 ルイズにはオスマンの発言の意味が、にわかには分からなかった。 いせかい、イセカイ、異世界……。 ルイズは頭の中でオウムのようにその言葉を繰り返し、ヒュンケルの顔を見た。 しかしヒュンケルはオスマンの言葉を否定せず、逆にそれを肯定するように頷いた。 「オールド・オスマン、この『悟りの書』はどこで手に入れたのですか?」 ヒュンケルが聞くと、オスマンは焦らすように微笑んだ。 皺の奥、懐かしさがまたたいているような瞳で、オスマンは『悟りの書』を眺めた。 「この『悟りの書』の本当の名は『神竜のエロ本』という。嘘か真か、竜の神から賜ったものだとその青年は言っておった」 「……青年? これは貰い物なのですか?」 頷くオスマンに、ヒュンケルは先を急ぐようにその名を問い詰めた。 オスマンは大事な秘密を打ち明けるような口調で、こう言った。 「青年の名はロト。異世界より来たりし冒険者――勇者ロトと名乗っておった」 前ページ次ページゼロの剣士
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――第5話―― 前ページ次ページ虚無と爆炎の使い魔 ルイズが教室に入るとキュルケ・タバサを除いた生徒全員がぞっとした表情で振り向いた。 正確には傍に控えている筈のハドラーに対してである。 しばらくルイズを観察していた生徒達だったが、隣に誰もいないのを確認すると、一人、また一人とルイズから視線を外していく。 全員がルイズから視線を外した頃、やがて教室は元の平穏を取り戻した。 「何なのよ……」 異端審問に掛けられた者が解放された様な気分で、憮然とした表情のルイズが、居心地悪く席に着いた。 「は……はは、何だ。つ、使い魔がいないじゃないか。ルイズ!」 座ったルイズに対し、生徒の一人から早速罵りの言葉が飛んで来た。 だがその口調にいつもの元気は無い。それに今日は何だか歯切れが悪い様だった。特に『使い魔』の辺りが。 そんな事を思ったルイズだったが、腹が立つ事は確かだったので、取り敢えず言い返す。 「うるさいわねマリコルヌ!昼まで自由行動にしただけよ!」 「そんな事言って、本当はどこかに逃げて行ったんじゃないのか?なんせ『ゼロ』だもんなぁ」 いきなりの先制攻撃だった。マリコルヌの侮辱に歯噛みして悔しがるルイズだが、ふと何かを思い付く。 突然笑顔でマリコルヌの方を向いたかと思うと、自分の使い魔に似た悪人顔で、にやぁっ、と口を歪めた。 「そうね……確かに証拠は必要よね。じゃあ、まだ時間はあるから今すぐ連れて来ようかしら?」 ルイズの言葉は嘘だった。ハドラーとは昼食に落ち合う約束をしただけで、本人が今頃どこにいるかなど、ルイズは全くわからない。 だが他の者はそんなやり取りがあった事すら知らないのだ。事の真偽は分からないものの、もしルイズの言葉が本当なら、近くにいると言う事になる。 まさかそんな答えが返って来るとは予想していなかったらしく、ルイズのその一言でマリコルヌと呼ばれた恰幅の良い少年は椅子から転げ落ちた。青ざめた顔でぶるぶる身体を震わせる。 「い、いや……け、結構だよルイズ!」 心底怯えた様子で返事をするマリコルヌにルイズが鼻を鳴らした。 「ふん。……怯えるくらいなら最初から言わなきゃいいでしょ」 ルイズの言葉に全員が『ごもっとも』と頷くき、呆れた様な冷たい視線をマリコルヌに投げ掛けた。中には「ルイズの言う通りだ!」と、珍しく同意する声も上がる。もっともそのココロは『薮蛇を突つく様な真似をするな』と言うものだったが。 ともあれそんな視線に晒されたマリコルヌはすっかり意気消沈してしまった。そんな雰囲気がしばらく続いた後、教室の扉が開く。 「皆さんおはよ……えーと、これはどうしたのかしら?」 教師のシュヴルーズが見たのは、教室の真ん中で四つん這いになって肩を落とすマリコルヌと、それを冷たい目で見下ろす生徒達の姿だった。 傍目にはイジメにしか見えない光景なのだが、何故か被害者である筈のマリコルヌは喜んで……いや、『悦んで』いる様であった。 「ああ、その糞塗れの豚を見る様な視線……なんて冷たいんだ。耐えなきゃ……!!今は耐えるしかない……!! 」 だが言葉とは裏腹にマリコルヌの息は徐々に荒くなっていた。同時にそれを見つめる生徒達の目が更に鋭いものになっていく。 「駄目だ、視線に……抵抗できない……くやしい!でも……感じちゃう!」 ビクビクッと身体が痙攣し始めたマリコルヌに、ついに(女生徒達の)限界が来た様だった。恐ろしく無表情になったキュルケが何も言わずフレイムボールを浴びせると、それを皮切りにクラスの(女)生徒全員が次々と魔法を唱え続ける。 最後に唱えたタバサのウインド・ブレイクがマリコルヌを窓の外に吹っ飛ばすと、皆が額の汗を拭った。ゴミ掃除は完了したのだ。 「あの……これは一体……『さ、授業を始めましょう。ミセス・シュブルーズ!』 にっこりと微笑みながら有無を言わせぬ(女)生徒達の迫力に、黙って従う他ないシュヴルーズだった。 一人の欠席者を出して授業はスタートした。進級後、最初の授業という事で、今日は一年生の時の復習だった。 シュヴルーズが目の前の石ころをピカピカ光る金属へと『錬金』し、それを見たキュルケが「ゴールドですか?」などと質問している。 ――人間は生ゴミでいいのかしら?―― ぼーっと先程の光景を思い出し、かなり危険な疑問が頭に舞い込んで来たルイズが、はっ、としてかぶりを振る。 きっと昨日から色々あり過ぎて疲れているのだ。そう結論を出したルイズは再度集中しようとするも、あいにく一部始終をシュヴルーズに見られてしまっていた。 「ミス・ヴァリエール。以前の復習だからと言って気を抜くのは良くありませんね」 「も、申し訳ございません!ミセス・シュヴルーズ」 シュヴルーズが注意すると、ルイズは弾かれた様に席を立ち、謝罪した。だがシュヴルーズはそれだけでは不満といった感じで顔を曇らせたままである。 「いい機会です。ミス・ヴァリエール。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい。集中すれば雑念も取れるでしょう」 シュブルーズの言葉に再び全員が反応した。皆口々に「止めてくれ!」だの「せっかく直った傷がまた開いちまう」だの言い出す。 皆の容赦の無い言葉にふつふつと怒りのゲージが上がっていくルイズの胸に、ふとキュルケとタバサの顔が浮かぶ。 あの戦いを一緒に乗り切った二人ならきっと応援してくれる筈だ。そう思ったルイズが二人の方を向く。 だがそこには現実が待っていた。 ルイズが振り向いた先にいたのは、他の生徒と並んでシュプレヒコールを上げるキュルケと、机と椅子で黙々と防壁を作るタバサの姿だった。心の中にあった最後の何かがべっきリとへし折れたルイズは、静かにシュヴルーズに告げる。 「やります」 そう宣言し教壇の方へと向かう。「やります」とは『やります』なのか、それとも『殺ります』なのか?それは誰にもわからない。だが、その決意の篭められた姿は、まるで死地へと向かう勇者の様なだ。 しかし、ルイズを除いた生徒達は思う「死地へ向かうのは俺達の方ではないのか?」と。 ルイズがついに教壇に立った。ルイズへの抗議を諦めた生徒達が、今度はシュヴルーズへの説得を試みる。 「ミセス・シュヴルーズ。いけません!自殺行為です」 「この状況で何故理解しない?」 「ていうかさっきのマリコルヌの時に魔法使ってたじゃないですか!」 だがシュヴルーズはそんな生徒達の声を一喝した。 「お黙りなさい!……ミスタ・マリコルヌの時は寄ってたかって魔法が使われていた為に良く見えませんでした」 シュヴルーズは言葉を切るとルイズの方を向いた。 「……ですが、彼女が努力家ということは聞いています。ミスタ・マリコルヌもそうですが、何か至らない所があったからといって、クラスの全員で迫害するなど、貴族たる者のする事ではありません!」 「いやマリコルヌの時はルイズも参加し「失敗は誰にだってあります。それを乗り越えてこそ栄光を掴めるのです。ミス・ヴァリエール……。努力家の貴女ならきっと掴めると信じていますよ」 誰かの指摘はどうやら届かなかった様だ。自らの言葉に半ば酔った様子で、シュヴルーズはルイズの両肩に優しく触れた。 「せ、先生……。わかりました。きっと……きっと!成功させて見せます!」 そう言って目元を滲ませるルイズにうんうんと頷くシュヴルーズ。実に美しい師弟愛であった。 だが今から命の瀬戸際を渡ろうとする生徒達にそんなものは関係無い。もはや説得は不可能と判断し、皆一斉に机の下へと隠れ出す。 クラス中が見守る中、静かにルイズの咏唱が始まった。 ――シュヴルーズ先生の言う通りだわ。こんな事くらいで怯んでいたら、アイツを従わせる事なんてできっこない!―― そんな決意の元、ついに詠唱が終わった。使い魔の顔を思い浮かべたルイズは今、万感の想いを込めて杖を振り―― 鉱山で働く男達がこぞって勧誘に来そうな程の、素晴らしい爆発が教室内に轟いた。 防壁代わりの机が幾つも吹きとばされ、前列一帯の生徒達が焦げ臭い匂いを発していた。後列も後列で、爆発に興奮して暴れ出した使い魔達にてんやわんやである。 そして爆心地の教壇では、丸焦げになって気絶したシュヴルーズと、あの爆発の中、奇跡的とも言えるぐらいに軽傷で済んだルイズがいた。煙を吸ったのか二、三度咳込んだ彼女だったが、すぐにいすまいを正すと静かに告げる。 「あ~……ちょっと失敗しちゃったみたいね」 『あるあ……ねーよ!!!』 クラス一丸となった生徒達が鋭いツッコミをルイズに向けるのであった……。 さっ……さっ……と、誰もいない教室でルイズが箒を掃く。 あの後、騒ぎを聞き付けた他の教師達によって、授業は即刻中止となった。シュヴルーズは医務室に搬送され、元凶であるルイズには罰として魔法抜きでの教室の掃除を命じられたのだ。 だが、魔法が使えないルイズにとっては同じ事であり、その言葉はかえって彼女を傷付ける結果となった。 打ちひしがれた様子で立ち尽くすルイズに、クラスメイト達は恨みつらみの言葉を投げかけて、ぞろぞろと教室を出て行く。 キュルケとタバサも、ルイズの事は気になったものの、今はそっとしておくべきだろうと判断すると、そのまま無言で列に従った。 「はあ……」 情けなさにルイズはうなだれた。使い魔を手に入れた事で自分は調子に乗っていたのかもしれない。 ハドラーと契約出来たからと言って、魔法を使える様になった訳ではないのだ。そんな思いが頭をよぎる。 「アハハ……そうよね。考えてみれば、契約だってキュルケとタバサがいたからできたんじゃない。私一人じゃ……何も……」 そのままルイズは黙り込んだ。あの時、感じられた筈の小さな自信が、さらさらと崩れ落ちる。 ――あの作戦を立てたのはタバサだった。危険な役目を自ら引き受けたのはキュルケだった。じゃあ、自分は?―― 「……」 ルイズの顔が苦しげに歪んだ。あの役割を与えられたのはたまたま自分の魔法が有効だった為だ。では、もし相手がハドラーでなかったら? ――決まっている。自分など只の足手まといだ―― 「あ……」 言いようの無い悔しさ、惨めさが胸の中を掻き乱した。ルイズの目から思わず涙が滲み出す。 「爆発なんて……何の役にも立たないじゃない……」 がらんとした教室で、打ちひしがれた様に立ち尽くすルイズだった。 「……何をしている?」 しばらくの間、鳴咽の声だけが響いていた空間に、突如別の声がした。慌てた様にルイズが振り向く。 「ハ……ハドラー?何で!?」 泣いている姿を見られまいと努力したルイズが、鼻をすすりながらの上擦った声を上げた。 「先程の場所で主が来るのを待っていたのだがな、あの赤髪の女が主の事を知らせに来たのだ」 「……キュルケが……そう」 ルイズの顔が少し柔らいだ。いつの間にか昼食の時間になっていたらしい。彼女のささやかな気遣いに、ルイズは心の中で感謝した。 「大まかな事は聞いた……魔法が使えない事もな」 最後の言葉にルイズがびくりとした。ハドラーもそのまま口を閉ざす。 しばらく重い沈黙が教室を支配した後、唇を震わせながらルイズが告げた。 「そうよ……私は魔法が使えない。生まれてこの方、一度も成功した事が無いの」 ルイズの口元に自嘲の笑みが浮かぶ。 「それで、付けられたあだ名が『ゼロ』のルイズ。魔法学院の生徒が、貴族ともあろう者が魔法を使えないなんて、とんだ……お笑い種よね……」 そう言った後ルイズは俯いた。その顔は垂れた前髪に隠れてよく見えない。だが、身体を震わせ、痛いほどに握り締められた拳が、今の彼女の心を明確に表していた。 「――俺は」 しばらく沈黙が支配していた教室に、突如ハドラーの声が響く。 「俺は……人間ではない。そして、この世界の住人でもない。だから、この世界で言う貴族の常識とやらは、俺には分からん」 ハドラーの言葉には力が篭もっていた。その声にあてられたルイズは、静かに顔を向ける。 「だが、召喚されてから、俺の見たものと言えば、魔法が使える筈の貴族の殆どが、無様に逃げ出し、魔法を使えない筈の主が、必死に戦う姿だ。……俺にしてみれば、主は他の連中よりも、よほど『貴族』らしく思えたがな」 「え……?」 『貴族』の言葉にルイズは思わず反応した。入学して以来、自分にとっては常に嘲笑と共に使われて来た言葉であり、肯定目的で他人に言われた事は、ついぞ無かった。呆気に取られた様子のルイズが怖ず怖ずと声を出す。 「もしかして……励ましてくれてるの?」 黙って首を振ると、ハドラーは、口を開いた。 「俺は事実を言っている。だから改めて聞こう。俺はどうやって主に呼び出されて来たのだ?」 「……?」 どういう意味なのかと考え込んだルイズが、突然ハッとした顔をした。 ――そうだ、サモン・サーヴァントの魔法はちゃんと成功したではないか。基礎中の基礎みたいな魔法だが、自分にも使える魔法は確かにあったのだ―― 何かに気付いた様子で見上げるルイズに、顔を合わせたハドラーは、ゆっくりと頷き返した。 「私は……『ゼロ』じゃない」 まじないを掛ける様に、ルイズは胸中でその言葉を何度も繰り返す。暗闇の中に、一筋の光が差し込んだ気分だった。 ――そうだ。自分は『ゼロ』じゃない。偉大なる始祖は、決して自分を見捨てていなかったのだ。今はまだ召喚の魔法だけしか使えないが、努力すれば、きっと他の魔法だって―― 「……うん」 歪んでいた顔を軽くほぐし、ルイズが微笑んだ。先程までは色を失っていた瞳が、再び真っ直ぐに輝き始める。 「ふふふ……まだまだ頼りないが……やはりいい目だ。奴らそっくりの、な」 主を見据えるハドラーの顔が喜びに変わった。濁りの無いその目は、かつて幾度となく戦った好敵手達の顔を思い出させる。 急に遠い目をする自分の使い魔を、ルイズは不思議がった。 「その……『奴ら』って誰の事?」 「かつて、俺と戦い、俺を倒した連中の事だ。……素晴らしい奴らだったぞ。野望と、自らの保身しか頭に無かった俺の生き方を、変えた程にな」 懐かしむ様な表情で話すハドラーを、ルイズは信じられない思いで聞いていた。この男を倒したと言う事も眉唾ものだが『保身』に走るこの男の姿など到底想像できないのである。 つい疑わしげな視線を向けたルイズに、ハドラーは軽く笑った。 「いずれまた話そう。それより今は、腹の心配をしなければな」 ルイズがハッとした。ハドラーがわざわざここに来た目的を思い出したのだ。 「そうだったわ!いけない、急がないと昼食抜きになっちゃう!」 掃除による肉体労働も手伝い、空腹感にすっかり襲われたルイズが慌てて飛び出して行く。 そんな主人の後を悠々と着いて行くハドラーだったが、教室を出た辺りで突然ルイズが振り返った。 「さっきはあんな姿を見せたけど……あんたを従わせる事を諦めたわけじゃないわ。覚悟しておきなさい」 まくし立てる様に喋ったルイズはそこで言葉を切ると、そわそわと落ち着き無い所作になる。 主人の奇行を訝しむハドラーに、ルイズは顔を赤らめながら小さな声で告げた。 「でも……励ましてくれた事には感謝するわ。えと……あ、ありがとう」 最後は蚊の鳴くような声で言い放つと、ぷいっと顔を背けたルイズは、そのまま逃げる様な速さで歩き出した。 「忙しい主だな」 歩き去るルイズの後ろ姿を見つめながら、ハドラーは苦笑した。 「ふう……」 走るのを止めたルイズは一息付くと、そっと裏を振り返った。走った分の距離を隔て、悠然と自分の後を追う使い魔の姿に、先程のやり取りを思い出したルイズの顔が再び熱を持つ。 ――嬉しかった―― ルイズの胸に、温かい何かが込み上げる。ハドラーの存在と言葉は、自分に可能性を与えてくれた。 だが同時に、今のままではとてもハドラーの主人とは言えない事をルイズは痛感する。 力が敵わないのは仕方が無い。だが使い魔に慰められる様な、情けない姿を見せたとあっては、とても自分の立つ瀬が無い。 ハドラーから視線を外すと、ルイズはきっ、と前を向いた。 「もっと強くならなきゃ……身体も。心も。あいつに負けないくらいに」 そう決心たルイズが再び歩き出す。行きの時よりも若干力強くなった足取りで、食堂への道をずんずん進んで行った。 目的地に着いたルイズが間に合ったとばかりに、食堂の入口をくぐる。しかしそこには何故か大勢の人だかりが出来ていた。 「ちょっと、何よもう!」 通常でもごったがえする入り口付近は、おそらく見物しているのであろう生徒達ですっかり塞がれてしまっていた。 一向に収まる気配を見せない事に、ちっとも自分の席に着く事が出来ないルイズは憤る。と同時に、この混雑の原因は何かと気になり出してもいた。 「どうした?」 野次馬の後ろに並び、背伸びをしながら何とか騒ぎの原因を確かめようとしていたルイズに、いつの間にか追い付いていたハドラーが問い掛けた。だが、 「きゃぁっ!」 不安定な状態で突然後ろから声を掛けられた事で、ルイズはバランスを崩してしまった。 前の生徒を道連れにする形で豪快にすっ転ぶ。 地面に痛打したルイズは頭を押さえながら、思いっきり抗議の声を上げた。 「何すんのよハドラー!」 「え……?ルイズの……使い魔!?」 ルイズの声に反応したのは一緒に倒れた生徒だった。悲鳴にも似た声を上げると、ハドラーの方を向いたまま、口をぱくぱくさせている。 「あ……ごめんなさ「うわあ!ル、ルイズの使い魔だ!」 巻き添えにした事を謝ろうとしたルイズにまたも別の叫び声が飛び込んだ。「ん?」と、反応した生徒達の目が次々とこちらに向けられる。 「何だよ……って、う、うわあああ!」 ルイズの後ろに黙って立つハドラーを見た生徒達が順番に声を上げた。それに伴って、まるで魚の大群が逃げて行くかの様に、ルイズ達の前方が左右に割れていく。 「列が空いたようだな」 「空いたけど……これじゃあもう食事は無理よ」 長いテーブルや椅子もあって、ただでさえ動きにくい食堂の通路である。そこに無理な形で列が割れた為、ルイズの席がある周辺なんかは、今やすし詰め状態になっていた。 「はあ……」 ため息を吐いたルイズは渋々と二分された人だかりの中を歩いていく。 こうなったらとっとと騒ぎの元凶を突き止めよう。そう思いながら中心まで進んだルイズが見たものは、この一年間で良く見知った人物である。 一人は金髪にフリル付きのシャツ姿。何故か頬に手形が付いた状態で佇むクラスメートのギーシュ。もう一人は、そのギーシュに必死で頭を下げる、一人のメイドだった。 ――確かシエスタ……って言ったかしら?まあいいわ―― 少女の髪がトリステインでは珍しい、黒い色をしていた事が印象的だったルイズは、何となく名前を覚えていた。だが今はそんな時では無い。まずは状況を把握すべきである。 「あんた達何やってるのよ!」 開口一番、昼食が食べられなくなった恨みを、たっぷり込めて、ルイズは叫んだ。だが―― 「ひっ!」 突然のルイズの乱入に二人がみるみる顔を青くした。メイドのシエスタはルイズの声に、ギーシュはルイズの後ろに佇むハドラーの姿に、それぞれ怯えている。 「何よ……ちょっと聞いただけじゃない」 ルイズが不満げに一人ごちた。これでは自分が悪役の様である。 「どうするのだ?」 「仕方無いわね……そこのあんた!」 このままで話にならないと判断したルイズは手近な生徒を捕まえて、事の次第を聞いた。それによると―― 友人とのお喋りに夢中のギーシュがうっかり落とした謎の小鬢、それをデザートの配膳で近くを通り掛かったシエスタが拾って渡そうとした。しかしギーシュは何故か受け取りを拒否する。 だが小鬢を見た友人の一人が突然声を上げた「その小鬢はモンモランシーの物じゃないか?」囃し立てる友人達を必死で否定するギーシュ。そこにケティという下級生の少女が現れる。 どうやらギーシュはモンモランシーに内緒で彼女といい雰囲気になっていたらしい。しかし、彼女もまた、ギーシュからモンモランシーとの関係を知らされていなかった。 「私の気持ちを弄んだのですね!」小鬢を見て裏切られたケティは涙を流して立ち去った。気まずい空気の中ギーシュは必死に取り繕う。 だが、悲劇はこれで終わらなかった。モンモランシーが一部始終を見ていたのだ。ギーシュの態度に怒髪天を突いた彼女は強烈な平手打ちを食らわせ、ケティと同じく立ち去っていった。 一層気まずくなった空気が漂う中、突然ギーシュはシエスタに怒鳴る「受け取りは拒否しただろう!あれで察しがつかないのか?」と。 「……とまあそんなこんなで彼女が平身低頭している時に君が来たと言う訳さ」 「そ。ありがとう」 身振り手ぶりを交え、何ともドラマチックな解説をしてくれた生徒にルイズは礼を言うと、ギーシュの方へと向き直る。 「予想はしてたけど……全部あんたが悪いんじゃない」 びしっと指を突き付けて、ルイズは言い放った。「そうだ!」と周りの野次馬からも同調の声が相次ぐ。 ルイズは内心怒っていた。ギーシュだけではない。何もせずにただ見ているだけの野次馬にもである。 ハドラーは『自分の方が貴族に見えた』と言った。だが、それは裏返せば『他の奴らは貴族じゃない』と言っているに等しい。 確かに、あの騒ぎで逃げ出した者は大勢いた。だけど、あれだけが貴族の本質で無いのもまた事実なのだ。 貴族にも勇敢な者、立派な者は、自分の家族を初めとして星の数ほどいる。幼き日からそれを良く見知っていたルイズは、だからこそ、こんな愚かな行為を繰り返す、ギーシュ達の横暴さに余計に腹が立った。 「こんなのただの弱い者虐めじゃない!貴族としてあるまじき行為よ!」 周りにも聞こえる様な声量でルイズが非難した。だが当のギーシュはカチンとした様子で反論する。 「……それを君が言うのかい?『ゼロ』である君が!」 そう、腹が立っていたのはギーシュも同様であった。 メイドに怒鳴ってしまったのは、弾みだったのだ。八つ当たりであった事も、メイドを責める理由がお門違いであった事も充分理解している。しかし自分は貴族だ。簡単に頭を下げる事は自らの価値を安売りする事にも繋がる。 だからこそ、人目に付くここでは一旦メイドの方に折れてもらい、後でフォローを入れれば良いと考えていた。なのに、そんな中、突然ルイズが現れた。いきなり自分を非難したかと思えば、今度は魔法が使えない身で『貴族』を語る。 いくら相手が女性であろうと『貴族』を侮辱された事には我慢ならなかった。 「そ……それとこれとは」 「関係あるさ。魔法が使えるからこそメイジであり貴族なのだよ。その点、君は、魔法を唱えては爆発ばかり。ていうか、そもそも魔法と呼べるのかい?あれ」 「サ……サモン・サーヴァントは成功したわ!」 そう反論するも、ルイズの言葉に力は無い。魔法が使えない。爆発など役に立たない。ついさっきまで自分が考えていた事だ。 私はゼロじゃない!心でそう繰り返しながら、ルイズは平静を保った。だが、ギーシュの言葉は更に追い討ちを掛けていく。 「だが『錬金』の魔法は見事に失敗したじゃないか。『サモン・サーヴァント』だって、そう何度も唱えるものじゃない。ただの偶然という事だって、十分考えられる」 落ち着き払ったギーシュが、静かに留めを刺した。 「つまり……今の君には『貴族』について、とやかく言う資格は無いって事さ!『ゼロ』のルイズ」 ギーシュの言葉が心に深く突き刺さったルイズは再び、自分の足元が崩れて行く様な錯覚を覚えた。『ゼロ』じゃない!希望を見出した筈のその言葉が、心の中で、ただ空しく響く。 すっかり黙ってしまったルイズの様子に、これはチャンスとギーシュは見た。このまま矛先をルイズに変える事で何とかやり過ごしてしまおう。そう考えたのだ。だがその時―― 「話がまとまらない様だな」 今まで黙っていたハドラーが急に口を開いた。存在をすっかり忘れていたギーシュはその声にたじろいでしまう。 一方のルイズも、ギーシュ同様にとまどっていた。主たる自分がこれ以上ハドラーに頼る真似はしたくない。 そんなルイズの心中はハドラーにも分かっていた。自分が手を貸す事をこの少女は喜びはしないだろう。そう考えている。同時に、その気高い心こそ、ハドラーがルイズに付き従っている理由の一つでもあったのだが。 さて……とハドラーは考える。 今現在、この二人の考えは平行線を辿ったままだ。これまでも、おそらくこれから先も、貴族の身でありながら魔法が使えない事は主の障害となり続けるに違いない。ならどうすれば良いのか? ――……そうだな。ここらで主には、乗り越えてもらおうか―― 自分を倒した勇者達も、様々な挫折や試練を乗り越えて来た。ハドラーの胸に、かつてザコと呼んだ、だが最後には自分を救おうとした尊敬すべき男の顔が浮かび上がる。 出方を待っている様子の二人に、静かな口調でハドラーは切り出した。 「俺の元いた世界では、こういう時に最適な方法がある」 「「本当!?」」 二人の声がつい重なった。ハドラーの言う事が本当なら、願ってもない事である。 先を促そうとした二人に、何故かハドラーは不敵な笑みを返す。不審に思った二人を見渡し、使い魔は朗々と宣告した。 「決闘だ。双方とも、心往くまで存分に闘うがいい!」 「「……決闘?……って!!えええええぇぇぇぇぇぇ!?」」 二人の放った仰天の声は、食堂中に轟き渡ったのだった。 前ページ次ページ虚無と爆炎の使い魔